L-カルニチンを飲んだら握力が上がった

数ヶ月前、筋痛性脳脊髄炎の研究者の神経内科医を訪れた。

筋痛性脳脊髄炎が身体的な神経・免疫の疾患だと理解してくださっている日本で数名しかいない医師である。

「このような症状はありますか?」

聞かれた症状の9割に、私は「あります。そうです、そうです。」の回答をした。

何故、このお医者は、これほどまでに私の症状をご存知なのか。

驚くと共に「やはり、この病は存在するんだ」、「身体的に共通の症状をもつ患者が大勢おられるんだ」と感動すら覚えた。

こうして聞くと、普通の医療行為だが、多種化学物質過敏症や筋痛性脳脊髄炎の患者にとっては、涙が出るほどにありがたい。

 

「筋痛性脳脊髄炎の患者の数割は、あなたのように多種化学物質過敏症です。言われているとおり、この二つは関連疾患ですね。

他の病気の患者も大勢みていますが、その中に多種化学物質過敏症の患者は一人もいません。」

この言葉は、さらに私を勇気づけた。

 

私は聞いた。「でも治療法は無いんですよね。」これは、過去に訪れた多種化学物質過敏症専門医から言われていたからだ。

しかし、その神経内科医は普通におっしゃった。

「無いという訳ではありませんよ。効くと言われているものを試してみましょう。あなたの疲労を軽くすることができると思いますよ。」

なんという期待を大きく上回るお言葉。感動に感激が加わった。

 

私は言った「多種化学物質過敏症患者で脂肪酸代謝に異常があり筋肉(骨格筋と心筋)のエネルギー産生に支障がある。代謝されなかった物質の毒性で多岐に渡る症状が出る。脳の神経伝達物質の低下も説明できる。なのでL-カルニチンを取ることをすすめるという報告があるのですが。」

医者は即座に「L-カルニチンは、よく出します。出しましょう。それとATPを出しておきましょう。」

 

それから、わずか数ヶ月後に、私の筋肉の質は改善された。脂肪に被われたようになっていた脚の筋肉は、脂肪がとれて普通の筋肉に戻った。階段を登ると息切れすることがあった心臓も息切れが減った。

筋肉の観察を裏づけるように、握力が数ヶ月前は10kgf台だったのが20kgf台に改善したのだ。この数年、手からポロポロと物を落とすようになっていた。毎日トレーニングをしてもポロポロ落とした。アニメで見た難病の症状のようで不気味だった。

5ヶ月で握力の改善を見たのが嬉しかったのか、「こんな短期間で効を奏するなんて」と神経内科医はとても喜んでくださった。

また、私がこの病気の誤った理解が社会に蔓延していることから、社会的に耐えている事柄について本気で怒ってくださった。

よい先生だ。暖かい。この先生に出会えてよかった。

まだ脚の脱力、全身の脱力がある。記憶や思考力、感情面も以前より力が低下している。ごく微量の化学物質に過敏に反応してその場にいられなくなる。蛍光灯を見ると偏頭痛が起きる。自律神経発作も頻繁だ。なによりも精神的疲労が身体的疲弊に直結して動けなくなる。パーキンソン様症状もあれば、レイノー症状も出る。耐える物が多すぎるのだろう、突然、ポキンと折れたように、全てができなくなり身体から力が抜ける。動けない。

「病気が治るとよいな」と病気になって7年目にして、初めて心から思えた。これは根本療法だ。

筋痛性脳脊髄炎、多種化学物質過敏症は身体の神経の病だ。だから治療法が見つかれば治る。

どうか、患者達が肉体的な苦痛に加え、社会的な苦痛をうけることが無いように、あるいは受けている状況が改善されるようにと心から祈る。

 

 

L-カルニチンの低レベルと多種化学物質過敏症

多種化学物質過敏症患者の代謝を網羅的に調べた2016年の論文があります。

脂肪酸代謝に患者に有意な特徴が認められています。中鎖脂肪酸のヘキサン酸、ペラルゴン酸の血中濃度が健常者に比べて有意に高いそうです。

また、血中アセチルカルニチンが健常者に比べて有意に低レベルであるとの結果も得られたようです。そのため、L-カルニチンの服用が勧められており、その後の服用の影響についても研究が継続されているようです。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjh/71/1/71_94/_pdf

https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-16K09116/

カルニチンは、筋肉内のミトコンドリアの健全性とエネルギー産生に関与する一方、代謝物のアセチルカルニチンは血管脳関門を通過して脳に運ばれて神経伝達物質アセチルコリンの合成と分泌を促進します。アセチルコリンは自律神経の副交感神経や運動神経末端から分泌されます。

多種化学物質過敏症患者では、ミトコンドリア脂肪酸酸化酵素の一つ、中鎖アシル-CoA 脱水素酵素(medium-chain acyl-CoA dehydrogenase: MCAD)の異常が示唆されています。脂肪酸の分解がうまくいかないことで、各臓器に脂肪が蓄積して筋力低下や心筋の障害を起こす可能性があります。

多種化学物質過敏症患者は筋肉の症状を呈する人や時期があります。また、関連疾患の筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群ならびに繊維筋痛症においても筋力低下は主な症状の一つです。

これら3つの疾患では短期記憶力の低下、集中力低下などの脳の高次機能の障害が見られます。自律神経の調節も悪くなり、副交感神経の働きが悪くなります。

こうした症状がL-カルニチンの補充によって改善すればよいと思います。

個人的には、嗅覚過敏などの脳機能との関連性も説明がつくと良いです。カルニチン不足は脂肪肝のリスクもあるということですので、化学物質の解毒もL-カルニチン補充で改善するとありがたいのですが。

多種化学物質過敏症については、患者の治療に繋がる研究があまりにも少なすぎます。これまでの研究には、精神疾患としての研究(原因と結果が混在している病態を見ているだけ)や、アロマセラピーの影響(化学物質が苦手な患者に化学物質を嗅がせて治るとは思えない)などといった患者にとって無意味な研究も多々あり、患者としては歯がゆい現状が続いています。

カルニチン代謝の異常を見つけるといった、こうした解析技術を使った病態解析にもっと予算を配分していただきたいと思います。

筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群、繊維筋痛症、多種化学物質過敏症の3つは、まぎれもなく身体的な疾患であり、どこの病院においても診断、治療が行えるようになるべき疾患です。社会的認知も訂正が必要ですし、香害対策を含めた環境改善も必要な疾患です。患者は、香害のせいで香料が充ち満ちた病院に行くこともできず、介護もうけられる状況にありません。悲惨な状況といって良いと思います。

 

 

登山者は香料を山にもちこまないでください

登山をした。

人に会うまでは、自然を堪能してのんびり歩いたり、急坂を一生懸命登ったり、展望を楽しんだりして私は山を楽しむことができます。

 

ですが、人=柔軟剤=害をなすもの、です。

2017年春には、登山者のおおよそ5割の方が、すれ違うと香料臭いと感じました。

2019年春現在、登山者のおおよそ7割の方が、香料臭いと感じます。臭いも年々強くなり、登山者が通りすぎた後の登山道もひどいときは数十メートルが香料くさいと感じます。

洗剤、柔軟仕上げ剤に含まれる香料は、特に登山服の化学繊維に吸着しやすいように思います。臭くて臭くて香料の固まりが歩いているとの同じです。

本来、登山服の素材には柔軟剤はご法度。発汗性などのせっかくの素材テクノロジー機能をだめにしてしまいます。登山服が高額なのは、そのような機能を買っているわけですから、柔軟剤を使うというのは登山中の快適さ、もっと言えば登山の安全性を捨てているようなものです。

私のような香害患者のためのみならず、着ているご本人のためにも無香料のもので洗ってください。

ちなみに、登山シュラフ用洗剤として有名な輸入洗剤の成分は、脂肪酸カリウムのみ。シャボン玉石鹸社の洗濯用液体石鹸と同じです。私は、それで洗っています。

 

登山者の方が香料を使用しはじめてから、私は、メジャーな登山ルートを歩くことも山小屋泊もできなくなりました。北南アルプス、上信越の山などに毎年行くのが楽しみでしたが、今は、そのルートは行くことができません。登山中に香料の方とすれ違うと呼吸困難や喘息発作を起こして登れなくなるからです。登山者の方の香料自粛をよろしくお願いいたします。

私も山を楽しみたいのです。

 

リネンが香料臭いのは勘弁してくれ

香害患者にとって、宿泊場所を選ぶのは至難の業です。

自然の中のコテージであれば、街中のホテルよりも空気がよかろうと行ってみました。

コテージ自体は使いやすい作りでしたが、リネン(シーツ、掛け布団カバー、ベットマット、ソファーカバー)が香料臭く、喘息発作、頭痛、呼吸困難を起こしました。1時間起きに外の空気を吸いに出て、寝られませんでした。朝、ひどい偏頭痛を起こしました。宿泊施設に問い合わせたところクリーニング屋にまかせているということでした。

森の近くの新鮮な空気のはずが、リネンの香料に汚染された空気を吸うはめになってしまいました。何故、こんな事になっているのかと夜中に世の現状を嘆き、悲しみ、怒りました。

持ち込んだ荷物、靴も含めて全てを帰宅後に臭いを落とすために石鹸で洗うはめになりました。


ホテルなど不特定多数が利用する宿泊施設ではリネンは無香料が基本、最低限のエチケットです。まして、香害被害が叫ばれる中、香害患者は、ホテル等のリネンが香料臭くては、安心して外泊もできません。調べると某社の業界リネンサプライの中にフローラルの香りつきの仕上げ剤が販売されていました。

リネン用業界用製品の香料は、事前に確認することもできず、宿泊先の夜に健康被害を起こし対処できません。業界用製品の香料入り製剤は販売を自粛していただきたいです。

次の旅の宿泊施設にリネンのクリーニング屋に照会してもらい、洗剤、仕上げ剤のメーカーと型番を問い合わせました。何故、患者がここまでしないとならんのか!本当に香料自粛、よろしくお願いしますよ。

 

 

袈裟を憎んで坊主を憎まず

 多種化学物質過敏症(Multiple Chemical Sensitivity: MCS)患者の日々は、忍耐の連続です。忍耐の現場は、いくつかありますが、主に通勤中の電車の中と、そして職場です。

MCS患者が反応して逃げ回るものとして香料があります。柔軟剤や香水については、少し知られてきましたが、実は、市販食品中の香料にも反応します。この食品中の香料、加えて香辛料がMCS患者の職場での仕事環境ならびに人間関係に大きな障害となって立ちはだかります。
MCS患者は侵害刺激と呼ばれる刺激(香辛料や香料等に含まれる)を受けると痛みとして感じます。また、その痛みを起こさせる物質の量は、あまりにも微量です。従って、その場にいる誰もが平然としている中で、患者だけが苦しくてしかたがない、という状況が生まれます。これは、通常の生活の中で、MCS患者に会ったことが無い方々には、とうてい想像もできない事柄ですから、当然、理解は簡単ではありません。
おまけに困ったことに、刺激を受けて平常心を失っているMCS患者の行動は、パニック状態と呼んでおかしくない程に混乱しており、周囲の方々への説明や気遣いをしている余裕が無くなってしまいます。これでは、ますます、職場での人間関係がおかしくなる方向に進みます。
私は、痛みに耐えることと逃走とにあけくれる日々の中で、リジューのテレジアの自叙伝を読むという機会に恵まれました。テレジアに導かれた経緯は、実に不思議なものでしたが、私が危急な危機に瀕していたので天が必要なものを与えてくださったと理解しています。
で、テレジアはフランスのリジューという町のカルメル会修道女です。修道会の集団生活の中での日々出会う日常的な不条理といかにして戦ったかが、まるで昨日のできごとをテレジアが目の前で説明するかのような平坦な文章で教えてくださいました。長いですが引用します。
「共同体の一人の姉妹は、万事につけて私の気に入らないことをするのに才を得ています。(略)けれどもその方は、たいへん神さまが気に入っておられる聖なる修道女にちがいありません。それで私は自分の感じるこの自然の反感に負けたくありませんでした。「愛徳とは感情にあるのではなく、業にあるはずだ」と自分に言い聞かせ、この姉妹に対して私のいちばん好きな人にふるまうような行動に励みました。この姉妹に会うたびに、徳と功徳とを皆ささげて、彼女のために祈りました。これはイエスさまを喜ばせると確信していました。(略)。自分にとってこれほど戦いのもとになるこの姉妹のために(略)できるかぎりの奉仕をするように努めました。そして無愛想な返事をしそうになると、いちばん愛らしいほほえみだけで答え、それから話題を変えるように努めました。なぜなら「キリストにならう(十字架の聖ヨハネ)」にも、「議論して争うよりも、人が思いたいように思わせておくほうがよいことである」とありますから(テレーズ・マルタン著、幼いイエスの聖テレーズ自叙伝、ドン・ボスコ社」
テレジアは「この姉妹との仕事の打ち合わせなどで戦いがあまり激しくなると、私は逃亡兵のように逃げ去りました」とも書いてあり、大きな慰めになりました。
もちろん、病気の悪化をがまんしろということではありません。ただ、毎日、焦燥感と怒りと疲労の日々を送っているMCS患者の私にとってテレジアの自叙伝は、進むべき道を示してくれました。
私は、かかりつけ医に「MCS患者は、人々の柔軟剤のついた服を憎んでも、その人が食べる香料まみれの食品を憎みつつも、その相手の人を愛するという、高度な行動を行わなければならない」と言いました。
この話を聞いた医者は、うまいこと表現しました。「袈裟を憎んで、坊主を憎まず、ですね」と。まさに言い得て妙でした。
医者は、「あなたには、聖人の示す道が、唯一の道でしょう」と。
MCS患者になった苦難を糧にできるべく、日々、修練いたしましょう。しかしながら、感覚過敏と侵害刺激の苦痛は、とても辛いので、時々、このブログに悲鳴を書いてしまうかもしれません。お許しを。ともかくも、クリーンヒットと医者に言われた、光でした。

同調圧力とは同質圧力であり攻撃的なものである

昨夜、TVで同調圧力なる言葉を初めて聞いた。村八分、という言葉は知っていた。日本の田舎では周りと違う目立つ事を良くない事とする習いがあることも知っていた。TVでは、現代の日本の学校で子供やPTAで同調圧力があることを指摘していた。

そうか!そうだったのか!私は、また、今ごろになって、職場の同僚の私にはただ不快で居心地の悪い圧力が何であったのかがおぼろげに理解できた。あれは同調圧力だった。あれも、これも、「そんなの常識」、「みんなが」、「みんなに不評だよ」、「なんで、あなただけそうなの」
あ〜っ!!そうかあ、同調できない体質の私は、同調圧力の元で育った人から「社会の害」と見なされて攻撃されていたのかあ。

同調圧力は「意思決定の際に少数意見を持つ人に対して、暗黙のうちに多数意見にあわせることを強要するもの」との説明がWikiにある。TVでも「会議の際に誰も意見を言わない」と発言があったが、私が体感している圧力は、そのような生易しいものではない。

「同質圧力」という用語は無いようだが、むしろ、同調して行動を実施することを求められるというのであれば、まだ話は簡単だ。
だが、実際には、少数意見の者が多数意見の者に合わせて一緒に行動する、というにとどまらない。求められるのは、「同質な者であること」。誰もがしていない行動を取らないこと。言い換えれば「私と異質の者を許容できない」ことであり、イコール「相手の個性を認めないこと」である。

昨今は、発達障害、精神疾患、また、レズビアン、ベイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)の方への理解を求める情報が多いが、良い流れである。
というのは、同調圧力は、イコール同質圧力であり、そのまま、自分とは違う相手を「異質で不要なもの。邪魔なもの。排除すべきもの。いじめても良いもの。」と理解することに繋がるからだ。同調圧力を警戒する教育、社会をめざすことが肝要だからである。

もうひとつ、同調圧力に似て非なるものがある。それは、専門外だが、おそらくは自己愛性人格障害を患っている者からの陰険な攻撃である。彼らは「みんな」という幼児用語を多様し、攻撃対象に1対1の際に攻撃をしかけてくる。言われた方は最初、自分だけが職場の全員と異なるのかと驚きを覚える。しかしながら、彼らの使う「みんな」という幼児用語は、実は嘘である。彼らは「俺」について話をする際に、「私はこう思う」と自信を持って意見を言えない。そのため、自分を安心させるために、どこかで同僚に「そうだよね」と同意を求めた話題について、たとえ、その際に10の話のうちに同僚が1の同意を示したことであっても、それを安心材料にして「みんな、あなたについて、そのように言っている」的な発言をする。同時に相手が「みんな」を職場全員の100%の同意だと誤解する効果を狙っている。悪質である。

また別の病的な心の持ちように、「誤った公平感」がある。
人は誰でも、求めるものが質的にも量的にも異なる。寒い時に毛布1枚で十分な人と毛布3枚あっても寒く感じる人がいる。当たり前の事実だ。各人に必要なものを与えることが公平である。しかしながら、誤った公平感を持つ人は、全員が1枚の毛布でないと気がすまない。あるいは、全員が3枚でないと「あいつはズルい」という。飛行機内で配られる毛布は、寒い人には追加できる。それを必要とする人が要るからだ。それをズルいという人はまず居ない。だが、別の状況下では、誤った公平感を持つ者は、人はそれぞれに異なった環境を快適とすることを認めない。

発達障害も多種化学物質過敏症化患者も、各人に快適な光の強さ、臭いの無さ、喘息発作を誘発する物質から逃げる必要性に切実にかられている。そうした私たちの必要性は命がかかっているといっても過言ではない。

この社会が、同質を求め、自己愛を同調圧力の元に強要し、各人の生きていける環境の違いを理解しない、といった現状から脱するため、私は何をすればよいのだろうか。



空を越えてはるか高くへ

Far Away 彼方の光というLiberaの歌声に出会い癒されました。

こんな歌詞です。
槍が岳でロープ(ザイル)が切れて友人が亡くなった事故について書いた氷壁という本のドラマ化の際の主題歌らしいです。ロープがナイロンだった時代という設定です。
私がどこに行っても、どこを登っていても、夜の闇の中にいても、嵐の夜にも、いつでもあなたは輝いていて、私を高みにひきあげてくださる。歩く道を示してくださる。
聖霊よきてください、天の使いを送ってください。
という内容です。
登山をする人達は、自分を越えた存在の導きを感じることがあると思います。登山をしていなくても感じることがあると思います。その感じを信じてよいのだと思います。
どんなに遠くに行っても、どこにいても、あなたは輝いていて私を空よりも遥か高いところへと導いてくださるのですから。

Far Away by Libera

 

Wherever I go

Far away and anywhere

Time after time, you always shine

Through dark of night, calling after me

 

And wherever I climb

Far away and anywhere

You raise me high, beyond the sky

Through stormy night, lifting me above

 

*Venite Spiritu et emitte caelitus (聖霊よ来て下さい、天の者を送って下さい)

Venite Spiritu et emitte caelitus

Venite Spiritu Venite Spiritu

Far away, beyond the sky

 

Whenever I cry

Far away and anywhere

You hear me call when shadows fall

A light of hope, showing me the way

 

And Whenever I cry

Far away and anywhere

You raise me high, beyond the sky

Through stormy night, lifting me high

 

*くりかえし

Nobody Knows the troubles I've Seen

とある感覚過敏がある方のサイトにNobody Knows the Troubles I've Seenという黒人歌が載せられていた。http://decinormal.com/2016/02/23/nobody_knows/

その歌詞は、私を慰めてくれた。私は、「理解されるよりも理解することを求めよ」と教わってきた。だから、自分を理解されようと説明することに積極的ではなかった。おまけに、相手を理解することも苦手だ。
だが、数年前から感覚過敏状態がひどくなり、それには多種化学物質過敏症という診断名はついたが、治療法もなく、手探りで家の中から反応するものを追い出した。けれども、外から来るもの、それは隣家や周囲の空気を通して、あるいは、購入した衣服や書籍や食品やテイッシュペーパーやおおよそ全てのものを通してやってくる。幸い、私は使えるマスクを見つけ、装着して外出できるし仕事もできている。しかし、この職場の辛いことといったらない。汚染された空気の中で、なぜ、皆が談笑できるのか理解できない。談笑する姿を見たときに、はっきりわかった。感覚が違いすぎる。
理解することが不可能な程、私の感じる世界、環境と他の人が感じる世界が違う。そのことを理解してもらう事をしなくては話が通じない、とわかってはいる。だが、理解することも、理解される努力をすることもできない。
助けてくれ!もう限界だ!
心は日々、叫んでいる。
なのに、深呼吸をして、防御を固めて臭い中に飛び込み、作り笑顔で元気に人々に接しないとならない。でないと、いじめられる。
皆は言う「普通の事をしているだけで、悪いことをしているわけではない」
私は答える「そうだね、悪いことをしているわけではないね」と。もはや言い返せない。
心が叫ぶ
「私を苦しめることに対して怒りをもってはいけないのか?」
「普通でない私には、何をしてもいいのか?」
「普通ってなんだ?」
「市販されている家庭用洗剤も、柔軟剤も、香料まみれの食べ物も、強い臭いの食べ物も、副作用を起こす薬も、全て、普通に売られているものが、私を苦しめているんじゃないか」と。
 多種化学物質過敏症、そのWikiの記載のひどいことといったら無い。多くの人が病名を聞き、Wikiを読み、したり顔で患者の私に説明をする。「あれはね、病気じゃあないんだよ」みたいに。「心の持ちようなんだよ」みたいに。
 私の怒りは、どこにぶつけよう。
 イエス様しか知らない私の痛みは、私の身体をなおも傷つける。
  Nobody knows the troubles I've seen
  Nobody knows my sorrow
  Nobody knows the troubles I've seen
  Glory halleluyas
   Sometimes I'm up, sometimes I'm down
  Oh, yes, Lord
  Sometimes I'm almost to the ground
  Oh, yes, Lord
  Oh Nobody knows the troubles I've seen
  Nobody knows but Jeses
  Nobosy knows the troubles I've seen
  Glory Hallelujah
   -Louis Armstrong-Nobody Knows the Troubles I've Seen-
    皆、私が日々どんなにつらいのか知らない
 皆、私が誰にも理解されないのを悲しんでいるのか知らない
 皆、私がかかえる困難を知らない
 それを知る神様に栄光あれ
 時に私は元気になる
 時に私は落ち込む
 そうです、主よ
 私はもう、ほとんどだめになりかかっています
 そうなんです、主よ
 私の日々の苦しみをわかってくれる人はいません
 (同じ苦しみを味わった)主以外には
 皆、私が日々いかに苦しんでいるのか知らないのです
 それを知り理解してくださる主に栄光あれ
 (訳、ブロブ管理者)
 まっこと、そのとおりだよなあ。感覚過敏をもつものの苦しみは、はかりしれないし、理解されないことも加わってその辛さは尋常でないよ。
 「だれだって、それぞれに病気やストレスをかかえてんだせ、あんたも自分でどうにかしなよ」と言われても感覚過敏者の日々のストレスは、また異質なんだ。ガリバー旅行記のようなもんだ。別世界に生きているんだ。息もまともにできやしない。それどころか、その場に居ることすらできないんだ。たしかに、皆、苦労はあろう。腰がいたかったり、病気で死にそうに苦しいこともあろう。それを否定はしないし、大変なストレスだと思う。でも、少なくても、その場に居るということ、その場で息をすること、そこに苦労を感じる人など皆無だろう。
 感覚過敏者は、そこから苦労しているんだ。どうしたらいいんだ!?
 

化学物質過敏症状態の的確な研究方法の必要性

作成中の多種化学物質過敏症(Multiple Chemical Sensitivity: MCS)研究会というサイトを目にしました。
https://mcsrsc.jimdo.com
本態性多種化学物質過敏状態(いわゆる化学物質過敏症)のことです。
ありがたい。特に、これまでの国内外の研究方法が、別の類似疾患のシックハウス症候群の主な原因物質であるホルムアルデヒドとトルエンのみに偏ってきたこと、両者に反応しない患者が多いというだけで「これは精神疾患である」と短絡的に結論づけられ医学上の分類に組み込まれたことへの反省が記載されています。
以前にも書きましたが、MCSは、シックハウス症候群とは別の症状が出ている新規疾患なのですから、既存の刺激物質で反応しないからといって、「これは身体の病気ではない」と考察するのは早計も早計、何のための研究班かと言いたいのです。おそらく、海外の動向に引きずられるように、MCSは精神疾患という引用をするのみで片づけたのでしょう。
これまでにも日本は、水俣病、四日市喘息などの化学物質による新しい病気による患者が発生するたびに、その当時の科学や医学で解明を試みてきました。当時、世界で報告がなかった公害の解明でした。一方で産業界からの反発や社会的な認知度の低さや不理解もありました。そこに公害による健康被害を研究する難しさがあります。先のMCS研究班の研究者の方々は、先輩方の行ってこられた、例えば水俣病を解明した研究を見習うべきです。
多種化学物質過敏症状態は、患者になって数年たってわかりましたが、反応する物質が増えていきます。より微量で反応するようになってきます。そして、肝心な事は、本人の認識しないところで反応する物質が増えていくことです。この点を精神疾患の強迫性障害としてとらえることは難しいと思います。
たとえば、柔軟剤で咳が出る人が電車に乗るときを想像してみてください。当然、電車の中の柔軟剤に対して防除の心をもって電車の中に足を踏み入れます。そこですでにストレスが生じています。さらに、マスクをとおしても、なお、咳がでたり、皮膚がビリビリした場合、「やっぱりか」というストレスの増大があります。そうした際には、いくぶんか脳からのトップダウンの指令により、体調がより悪くなることは否めません。
ですが、昨日まで何の反応もしめさなかった、例えば、わが家の水によって咳が誘発される。あるいは、大好物だった干し柿が、ある日突然、咳が出て食べられなくなります。あとから硫黄を使っているのかと知ります。饅頭、しかり。あとから、重曹かもしれないなと考えます。そうした、意識していないところで、突然に反応する物質が増えること、しかも、再現性をもってその物質に反応するようになること。こうしたことは、強迫性云々というよりは、花粉症や果物アレルギーの患者の方は身に覚えがあると思います。桃のアレルギーがある人が豆乳で咽がおかしくなる。抗原となるPR-10という抗原が二つの食品に共通に含まれているからです。これは、心の問題なのではなく、明らかに「ある物質に身体が反応している」という物質レベルのできごとです。
この咳ですが、ワサビ受容体とも呼ばれるTransient Receptor Potential (TRP)受容体という神経にある受容体のA1が、一般家庭の柔軟剤成分によって刺激されることが報告され、ようやく、意味のあるMCSの解析が開始されてきています。
TRPA1の話を知り、待っていたのはこれなんだ!と飛び上がりました。
そうです。患者が待っているのは、病気の機序の解明であり、治療法の開発であり、社会や行政による予防手段の実施、周りの人からの病気の認知と協力です。
自分の体験から、全ての化学物質がTRP受容体で説明できるかどうかはわかりません。反応する量が微量になっていくことがTRP受容体の数の増加や活性化で説明できることがとても大切です。
もう一つは、何故、多種なのか?多種になっていくのか?という機構の解明が必要です。ポリ塩化ビニールに反応するのみならず、ウレタンにも反応する、そのうちにポリプロピレンにも反応するようになる。ゴムを加工する何らかの成分にも反応し、家中の水に反応するようになる。こうした多種化は、患者にとって、現代の化学物質まみれの社会で生きていけるのだろうか、と不安要素です。
国や地方行政の研究機関のみならず、大きな研究費がつき、大学をはじめ多くの医学、工学、環境系の分野で研究が進むことを望みます。

ニンニク一発アウトとワサビ受容体Transient Receptor Potential A1について

私は、ニンニクの成分に反応して喘息発作を起こす。誰かがニンニクを食べると、その場にいられない。それどころか、食べた人の吐く息で咳が出る。ましてや、香料入りのカップラーメンの場合は、ニンニク成分+香料の2個に反応して、咳はもっとひどくなる。逃げるしかない。

パクチーしかり。トウガラシしかり。

化学物質過敏症の私が、ニンニクに強い反応を示すようになったことが、はじめは、よく理解できなかった。そもそも、私に小児喘息は無い。化学物質過敏症による喘息なのか、あるいは、成人喘息とともにアスピリン喘息という痛み止めで発作を起こす病態を発症したために香料や食品添加物などで発作が起きるのか、いったい何なんだろう?と謎だった。
ワサビ受容体とも呼ばれるTransient Receptor Potential (TRP)という神経細胞の表面にある受容体との関連の可能性があるらしい。TRPは、ワサギを食べて、辛い〜と一瞬感じるように、刺激に対して一過性にカルシウムチャンネルが開いて神経に痛みを感じさせる。「痛み」というのが重要だ。辛味は、味覚ではなく痛みだ。
TRPには、いろいろな種類があって、どの臓器の神経には、この種類が多いといった関係がある。ワサビ受容体は、TRPA1と言われて、気道に多い。TRPV1は、トウガラシ成分で痛みを感じる。面白いことに、TRPA1は、ワサビがくると痛みを感じるのみならず、ニンニクやパクチーが来ても痛みを感じる。さらに、家庭用製品の洗濯用柔軟仕上げ剤に入っているLinalol、Rose oxideによって痛みを感じることがわかっていて、気道過敏症の亢進を引き起こす可能性が指摘されている。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/toxpt/41.1/0/41.1_P-163/_article/-char/ja/
そのことから、侵害性化学物質受容体として働くTRPA1, TRPV1は、環境毒性センサーとも考えられている。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/toxpt/42.1/0/42.1_W3-1/_article/-char/ja/
これらのTRPA1や、TRPV1は、刺激がくる、咳をする、ということになると、神経ペプチドを出し、これが周囲に炎症を起こす。炎症が起きると、TRPの数が神経の表面にさらに多くなるのみならず、活性化してカルシウムイオンを通しやすくなる。こうして、わずかな刺激でも大きな痛みを感じる。と、このような事らしく、まさしく、私のごくごく微量の物質に反応して痛みを感じる、咳がでる、といった症状にフィットする。これだ!そう思った。
今日もわが家では、隣家からのニンニク臭と柔軟剤臭が流れ込んでくる。私は、咳が止まらない。空気清浄機は、オゾンを出すか、光触媒空気清浄機も分解二次産物を出すので、それによっても咳は出る。
こうして、病は癒されることがない。
せめて、柔軟剤成分の規制をしてほしい。頼みます。
TRPA1アンタゴニストそのものは、体温が下るとかで創薬として成功していないらしい。期待して待つ。

クエン酸リンスに反応する

全ての合成界面活性剤をわが家から除去して、すでに3年くらいたつ。

その後も、発症したての成人喘息は、薬で日々、どうにかこうにか発作を抑えているものの、反応して咳が出る物質は、増えてきている。最近は、危ないものがあると顔の皮膚がビリビリして反応する。
アルカリ性の石けんシャンプーと、中和のためのクエン酸リンスを使い出して数年経つが、どうも昨今、クエン酸リンスに反応してビリビリする。お湯を洗面器に入れ、クエン酸リンスを1プッシュし、髪の上からかけてシャワーのお湯で濯ぐ。その間に、若干、クエン酸液が風呂場の空気中にただようようだ。なので、髪をすすいだところで、風呂場の扉を開くことにした。寒いので数分開けたら、また閉める。外に光触媒空気清浄機を置いているが、どうなのだろうか、分解するのかな。
日頃、使用しているものに反応することがわかった時は、すくなからずショックがある。テイッシュペーパーに反応した時には、参った、という感じかあった。製造工程の違いなのか、水に流せるテイッシュペーパーは、使用できている。特に、某メーカーの介護用、ペット用とうたったものが良い。
酸やアルカリもTransient Receptor Potential (TRP)という受容体が刺激を感じるのだそうだ。希釈したクエン酸水を喘息の検査に使うともいうし、クエン酸リンスは、しかたないな。注意して使おう。
幸運なことに梅干しは、食べられた。よかった。山のおにぎりに使うからね。

水に反応して水道蛇口のパッキンを変えた

水が悪かった。浄水器つきシャワーの水を浴びていて反応するので、おかしいと水を怪しんだ。水道の蛇口のカランを交換してもらったところ内部のゴムパッキンが溶けて黒い水が溜まっていた。「あー、これですね。真っ黒だ。」と工事の方もおっしゃっていた。身体に悪そうだ。このとろけたゴムが、微量ながら、風呂と洗濯の水に入っていたことが判明。どうりで、洗濯を何回すすいでも咳がでるわけだ。ゴムパッキンが溶けると、浄水器ではとりきれないらしく、シャワーを浴びていても皮膚も弱いビリビリした違和感がする。咳も出る。洗濯物は、においを嗅ぐと強い咳が出る。長年、気がつかずに損をしたが、気がついてよかった。

 
 わが家に人が入るのは大変だ。電話で、担当者に柔軟剤や制汗剤などなど使用しないでもらいたいことを伝え、養生用の毛布は、持ってこないでほしいとお願いし、玄関先でこちらが用意するつなぎを着ていただきたいと言う。それらをクリアした担当者の方が、わが家にやってくる。全てのものを別室へ移動し避難させる。それでも、運良く、外の空気が少々、まともであることを願いつつ、換気扇を回し続ける。30分の作業であっても、私が片づけを終えるのは、数時間かかり、においが抜けるのにしばらくかかる。
 人が来るのは大変なので、そこからは、自力で洗面所、台所と内部の部品を購入して、工具も買って取り換えた。洗面所の蛇口の入り口の奥のゴムパッキンも取り除いた。うん、少し、ましになった。
 全ての洗濯のやりなおしだ。
 

だめなものはダメ、なんじゃないのか?我々が求める法治社会とは。

 自閉症スペクトラム障害や類似の傾向がある人(ここでは我々とする)は人間関係でトラブルがあると言われているが、その一端は、我々ではなく日本の世間一般に原因があると思えることがある。具体的にいうと、我々は法治的な社会に行きたいのに、日本の世間一般は、まるで法やルールが何かを理解していないからではないか?

 「汝、殺すなかれ」と十戒で教えるとき、それは殺すという行為を禁ずるものであり、そこにルールとしての妥協はない。だからこそ、殺した際にルール違反を犯した罪悪感が生まれ、人間であるから、そのような事態もあろうが、そこに懺悔の心が生じ、許されたことへの感謝が生まれる。つまり、感謝とは、法から生まれる罪と罰と対をなすものなのだ。
 日頃の細かいことであっても、私の周りの人々は、例えば「ここに私物を置いてはいけない」というルールをつくりたがる。そこで、私物を置きたい私は、「私は、そこに置きたいからそのルールは困るので置けるように希望する」と言う。すると、別の人がこう言う。「置いてはいけないのよ。だけれど、一時的に置くのはいいのよ」あるいは、「置いてはいけないのよ。だけど、私のは正当な(これもその時にはじめて聞かされる寝耳に水のような理屈)理由があるから、私のはいいのよ。貴方には、正当な理由があるの?」。これでは、ルールもくそもあったものではない。そもそも、はじめから「置いてもよいが、これこれのやり方を守って置くようにする」といったルールをつくる必要があるのだ。それであれば、だれにでも客観的に理解できる。理解できなくなるのは、禁じておきながら、例外や、突然、寝耳に水のように正当な理由がればよい、といったこじつけをつけてくるやり方のせいだ。これは、法律のようなカチっとしたものであっても解釈という形で、このときはこれ、あのときはあれ、と自在に、また、担当者によって対応が変ることにも通じる。端的な例が、こういった物言いや文章だ「原則、禁止である。しかし、個別の理由によって判断する」。そんなルールならつくらない方がよい。
 我々が望む法治社会は、四角四面の息苦しいものではない。といって人治社会のように例外だらけでわかりにくいものでもない。少なくとも、「私は正当な理由があるからいいのよ。貴方の理由は正当でないからだめなのよ」といった社会でないことは明らかだ。我々は、いじめの対象になりやすい。そのひとつの理由は、こうしたルールへの考え方の根本的な違いにあると思う。
 聖書のイエスの言葉は、律法主義に陥った世の支配者に立ち向かい、法が人間を思いやる革命的な知恵の社会だ。私は、知恵の言葉、知恵の社会を求めている。それは、法が何であるかを理解しない例外だらけのザルルールを自分だけはすりぬけようとする日本の世間一般の考え方からは、想像もできない高度な段階の社会だと思っている。
「妻を離縁する者は、妻に離縁状を渡せ」と命じられている。しかし、わたしはあなた方に言っておく。非合法な結婚以外の理由で、妻を離縁する者はみな、妻に姦通の罪を犯す機会を与えることになる。」
「洗礼者ヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まないと、あなた方は「あれは悪例に憑かれている」と言う。また人の子が来て食べたり飲んだりすると「見よ、あれは大食漢、大酒飲みで、徴税人や罪人の仲間だ」という。しかし、知恵の正しさは、知恵の全ての子らによって証明される」。

オルゴールと指圧

  風邪で熱を出し、昨夜は発熱と数秒ごとに襲ってくる頭痛(熱で後頭部の血管拡張)、関節痛でうなっていたのですが、幸い、熱も下りぎみで頭痛からようやく開放されました(別世界。ありがたい)。家でYou Tubeのオルゴールを聴いています。録音した音では響きが異なるので本物のオルゴールが要りようですが、今日のところはApple TVでYou Tubeを聴いて療養です。

 私は、山にいることがどうしても必要だと、かなり以前から感じていました。実際に早朝の薄暗がりで鳥のさえずりを聞いたり、登山をしながら鳥のさえずりを耳にしたり、ハイマツの生える稜線で風の音を聞いたり、無音の森の中で耳を澄ませるというだけでも、「ああ、やっと帰ってきた」とほっとします。沢の水音や滝の音の中にいることは格別の贅沢です。雪渓の上では、さらにしんとした静かな音の無い空間があります。そうした刺激が私が生きていくのに、どうしても必要です。
 オルゴールが家にいながらにして少しだけでも響きを与えてくれるのであれば、治療効果云々の前に良いなあと思います。
 もちろん、化学物質過敏症の治療効果があれば、大歓迎です。
 
 このところ、近所に石けん生活者限定の指圧治療院を発見しました。施術者ご自身が、化学物質過敏症を発症なさったとのことでした。そうですよね。数10メートル離れていても臭い合成香料なのに、その上から指圧を施していれば、濃い濃度で吸い込んでしまいます。よく、方向転換をされたと感心するとともに感謝しています。
 指圧によると、私は首と腹部がダメダメで、つまりは全身がまだまだなんだそうです。かつてCTを撮った脳外科医にストレートネックを指摘されてます。腹部膨満感は、子供の頃もあり、もう長いことだめです。小麦を断った際にお腹がするっとして「本来、こういうものなのか!」と驚いたことがありました。今は、小麦以外でも、まだダメなものがあるのでしょう、膨れたままです。
 
 一日家にいると、外部はあいかわらず煙かったり、ニンニク臭がしたり(おえっ)、バスの排気ガスやら柔軟剤が流れ込んできます。空気が悪いなあ、と思いながらも、できるだけ換気できる時は換気して忍んでいます。
 空気の澄んだ森に行きたいな。
 
 

NHK発達障害プログラム

NHKで特集番組があり、加えてネットに投稿サイトができました。番組でも専門家の方が説明していたとおり、これまでは他者から見たこんな人が発達障害という型にはまったような説明が医学でも社会でも通っていました。しかし、昨今、子供の対象者に加えて、成人の対象者が自分はこんな風に世の中を感じていて、いかに生き辛いかを語るようになり、感覚障害も無視できないということになったのだという。まさに、このブログもそういった目的で立ち上げた経緯があります。

だれでも自分が感じる世の中のとらえ方が普通だと信じていますし、考えたこともないものです。ところが、違和感が生じるできごとを体験する(多くは子供の頃から)ことで初めてアレ?と思うわけです。しかも多くの場合、その違和感は、自分を不快にするものであり、その状況が変らないことからストレスを覚えます。そして、成人になるまでに慢性的に体調の不調を重ねてきます。私の場合、偏頭痛にメニエール病、化繊アレルギー、全て、光に対する視覚過敏、聴覚過敏、触覚過敏と関連しそうな病名です。さらに、嗅覚過敏がこうじたのか、柔軟剤の強い臭いがきっかけとなり喘息を伴う化学物質過敏症を発症したのかもしれません。どうも感覚過敏のある人は、内蔵も含めて化学物質にも過敏になりやすいらしく、私は、普通に売っている食品の香料、人工添加物や食品加工に使う化学物質(重曹や亜硫酸塩)でもやられてしまいます。医学の薬も半量で効くくらいで、むしろ副作用が出やすいのかもしれません。祖母もそういったタイプでした。
番組では、視覚過敏の人の光が眩しいと感じること、スーパーや喫茶店などで不要な音に慣れず溢れ返る音の洪水であることを紹介していました。分かりやすかったと思います。個人差があるので、どの感覚が最も過敏かは様々ですが、複数の感覚に過敏があり、そのどれが最も苦痛をもたらすかは世の中の環境によってかわります。視覚過敏はアーレンレンズやタレックスサングラスで対策し、耳はノイズキャンセラーイヤホンで対策した今の私にとって最も辛いのは柔軟剤や香水、制汗剤、ニンニク、といった臭いがあふれた環境です。嗅覚過敏には対処法が無いです。望むのは、もちろん家庭や職場でのも協力ではありますが、それだけでは根本解決になりません。医学がまたは社会や政治が、強い刺激を減らした世の中を作ることを望みます。
思えば、昭和の時代まで(大河ドラマや朝ドラ「ひよっこ」を見てもそうですが)、室内の照明は暗いものであり、我々はそのような世の中で普通に生きていました。現代のように不自然に照明で照らされた環境になじめない我々は、けっして異常ではなく、人としてどこも欠陥は無いのです。人工添加物の洪水、日本人が食べてこなかった強い臭いのスパイスに身体が抵抗するのも、けっして欠陥ではないのです。柔軟剤などという名の化学物質を四六時中吸い続ける野生生物などどこにもいません。生物の進化の速度を考えても、けっして欠陥でも障害でもないのです。それを示すように、私は登山や野鳥観察で野外生活が好きですが、野外で呼吸し、米を食べ、終日、歩き回って活動するとき、何のトラブルも感じません。トラブルを感じるのは、通りすぎる人間が柔軟剤を周囲何メートルもまきちらして歩くのに出会った時だけです。それは自然の中でも異質の物質です。ひょっとすると、障害があるのは、感覚鈍磨とも言えるような強いLEDの光やパソコンを長時間見続け、強い臭いの食物を食べ続け、柔軟剤の化学物質を吸い続ける現代社会の多くの人々ではないかとも思えます。
 感覚過敏は、言い換えれば、世の中が化学物質の公害になっていることを示す進化におけるメッセンジャーなのだと考えています。世の中が感覚過敏を持つ人々が苦痛を感じずに生きられる環境をめざせるとすれば、それは、長い長い時間を人間が生き続けられるヒントになるのではないかと思います。ちょっと大げさですが、そう思いますし、そういった世の中になってほしいと思います。
 今、日本人の約25%以上が花粉症、子供の15%が発達障害があると言われていますが、今後、化学物質過敏症のを持つ人の割合は増加し、このままの社会環境に対応できない人の割合は増えるでしょう。すでにその兆候が現れているといってもいいのかもしれません。花粉症のレベルでは社会生活は可能ですが、化学物質過敏症を発症した後は、社会生活は堪え難いものと一変します。一億総活躍時代どころでは無い、公害社会に見えます。赤ん坊の頃から柔軟剤にまみれた家庭や保育園、学校の環境の中で生きることを強いられる子供たちを公害被害者にしない世の中を真剣に大人は考える義務があります。

新雪を歩く快さ

 新雪の山を歩く。快晴で無風であることも大きいが、それにしても新雪の誰も踏み跡の無い真っ白い平原に自分が初めて入っていくのは、どうして、こんなに気持ちが良いのだろう。

 脚の裏に踏みしめた雪がギュっと固まるのが気持ち良い。
踏み抜いた時の脚裏に何も無いのも気持ちが良い。
 私は、触覚も嗅覚も聴覚も無意味な程にするどい。普段の生活の中で、感覚を役立てる匠の技も無い。であるが、登山が好きな理由の一つに山の中にいると自分の感覚を役立てているような気になることだ。ちょうど良い感覚レベルと言おうか。人間がいる場所は、激しすぎる臭いや音にあふれていて苦痛だ。山は、もちろん厳しくリスクも大きいけれど、別の意味では、静けさの中にかすかな音や鳥の声がする。かすかなというのは、都会と比較しての話で、私の耳が聞くにはちょうどよい。
 触覚を使うことは、登山では岩登りや雪歩きで多い。平衡感覚や視覚がアンバランスな私は岩登りの技をマスターすることは下手だ。雪歩き自体も下手だ。
 けれども、新雪の上を歩く快感は、何はともあれ、最高な事のひとつだ。
 ギュッ、ギュッ。脚ごと埋まりながら歩く。歩くということが集中して行うただ一つの作業という贅沢。
 ギュッ、ボコッ、踏み抜いた。雪の中を泳いでいるみたいだ。
 新春の雪山散歩。快晴で汗だくだ。
 脚の裏も喜んでいる。
 

アスファルトに反応するウレタンアレルギーです

 ポリウレタン製品にアレルギーがあるようで、近くにウレタンの入ったものがあると咳き込んで、ひどいと喘息発作がおきるようになってしまいました。1年前は、柔軟剤や香水で咳き込んで発作がおきるようになって驚いたのですが、さらに悪化したのかウレタンが1%入った混紡の生地で作ったズボンを洗濯して室内に干したら、咳が出始め、気がつきました。

 その後、生活から可能なかぎりウレタン製品を捨てるように試みを始めましたが、これば実に大変です。まずは、ベット。ベットマットレスは、ウレタンが芯と布(キルトに縫い込んである)に入っています。ウレタンフォームのマットレスは、限りなくあります。そこで、友人が見つけてくれたウレタン無しのマットレスの特注、ほたけ製作所。以下のサイトからできます。http://www.hotake.com
なんでもソムリエの方がウレタンマットレスは嗅覚に悪いということで注文があるそうです。へえ、面白い。嗅覚が敏感な方は、気がついておられたんだ。
 次に登山用品と衣服、それから日常の衣服。1%でもウレタンが入っているものは廃棄。特に大変だったのが靴下。登山用靴下でウレタンが入っていないものは、日本製の2つだけ見つけました。野鳥の会の靴下もよいです。ストレッチと書いてあるのは、すべてウレタン入り混紡。スパンテックもウレタンです。メーカー開発生地も、探っていくとウレタン加工だったりして、しんどいです。合成皮はウレタンコーテイングです。防水加工もウレタンのものが多いです。Sea to summitはシリコンコーテイングなのかと思い、最初は臭いですが慣れるようにしています。
 さらにボックスシーツや下着のスパンゴム、これもウレタン入り。こちらは、世の中にこれしかないようで、あきらめ。
 最も、激怒したのがマスクです。活性炭シートマスクがウレタンフォームをベースにしていたのを知ったときは、あまりの事にびっくり。鼻のノーズパットもウレタンでした。なんてこと!柔軟剤臭さから身を守ろうと電車の中でマスクをしている方、ウレタンマスクやノーズパッドにウレタンを使用しているマスクは使用しないことが予防になりますよ。
 さらにさらに、新鮮な、いや、普通の空気を求めて登山に行った東北で、登山道に入る直前までのアスファルト道路で反応。登山道が土になったとたんに咳はピタっととまります。どうも、昨今のアスファルトはウレタン入りだそうで、その後、街を歩いていても危険です。おまけに自宅前の道路工事が続き、夜中に掘返しては、毎朝、アスファルトで閉じることを繰り返すこと数ヶ月。早朝しか煙や柔軟剤を含まない空気が取り入れられないわが家にとって、この早朝のアスファルト臭が数ヶ月続いたことは、相当のダメージでした。健康のために歩いたり、走ったりされる方は、アスファルト舗装の無い場所をお勧めします。
 ウレタンは、固体になっても振動によりイソシアネートという吸入毒性のあるガスを発します。自宅のウレタン寝具の上で亡くなった方もおられるそうです。
詳細は、イソシアネート、健康被害でググると出て来ます。規制してください。
http://www.asahikawa-med.ac.jp/dept/mc/healthy/jsce/jjce21_1_82.pdf
 今、気になっているのが羊毛布団。羊毛もウレタンコーテイングがあるそうです。うちの羊毛布団も匂いますが、そもそもの毛の匂いであれば慣れてもいいですが、ウレタンコーテイングであればさよなら。
 それと、ザックの肩の部分の発泡ウレタンフォームです。登山をするものにとって致命的な部分です。
 その後、ポリエチレンやABS樹脂にも反応しはじめ、咳がでる始末。
 世の中、吸入毒性のあるガスが充満していて、狂っているといしか言いようがないです。
 柔軟剤の規制ももちろん、ウレタンの規制も切実です。
 今、現在、柔軟剤に困っている方は、特に、ウレタンにも注意されることをお勧めします。
 

プロセスチーズで喉がイガイガする_化学物質は最小にとどめよう

薬物性味覚異常というのがあるそうです。
私の場合は、味覚全般が異常なのではなく、何かの物質が入っていると食べた数分後から口の中(上あご、舌)ならびに喉と食べたり飲み込んだりした際に食べ物に接触したであろう部分がピリピリ、イガイガしてくるようになりました。「なりました」というのは、数週間前に突然に始まったからです。
以下のような食べ物と( )内は、勝手に想像している加工助剤や添加物です。
あんこ(豆を早く柔らかくするための加工助剤、重曹等)
干し柿(干す前に二酸化硫黄で燻す)、
乾燥果物(加工されているようです)、
プロセスチーズ(乳化剤やpH安定剤とありますが単一でないので因果関係わかりません)、
イチゴ(原因物質は不明、アレルギーでは無いと思う)
食べる量にもよりますが、数時間から数日で治りますが、喉のイガイガのみにおさまらず咳が出だすと喘息発作の弱いもののような感じがしてきます。ですが、吸入ステロイドでは治りません。
吸入ステロイドの副作用に薬物性味覚異常があるようですが(厚生労働省パンフレット)、使用している吸入剤の添付文書に「口腔内不快感」とあるのみで詳細がよくわかりません。
「アレルギー性喉頭炎」と耳鼻科で言われ、「咽頭過敏」と呼吸器内科で言われ、「多種化学物質過敏症」と中毒科で言われましたが、いずれの領域でも医学的にはあまり研究が進んでいないようで心もとない治療法しかありません。
喉がイガイガするというと、感染やら乾燥やらと決まり切ったコメントを返す方も多いですが、これは、薬物、添加物、加工助剤を含めた化学物質からくるものだと考えています。問題は、中止できない喘息薬などもあり、対処がすぐにはつかないことです。
そもそも喘息を発症したのには、香料やデイーゼルなどの気道を刺激する物質まみれの現代社会の空気環境の悪さが関係しています。現代社会の毒を遮断しようとしている尾瀬のような環境の中にいると元気なのがその証拠なのでしょう。そんな尾瀬もPM2.5は飛んできます。PM2.5は、ネパールの峰々にも飛んでいきます。世界中が空気も食べ物も汚染されていく傾向に歯止めがかかりません。
「本態性環境不耐性」とも呼ばれる化学物質過敏症ですが、環境が数年や数十年という生物学的にはあまりにも短い時間の中で化学物質まみれになっていく状態こそが異常なのだと思います。尾瀬のみならず、現代に生きる人間を守るために化学物質は必要な最小レベルにとどめるべきだという世界的コンセンサスを形成すべきだと思います。

浄水器の悩みと風呂場の抗酸菌対策

水道の蛇口に浄水器を着けています。台所、洗面所、風呂場にシャワー。

1)活性炭シート 2)活性炭+中空糸 3)塩素の中和剤(酸化還元フィルター、亜硫酸カルシウム)4)塩素の中和剤(ビタミンC) の4通りの方法をうちでは使用しています。
1)活性炭シート:シャワーヘッドで使用している活性炭シートは粉が出ないしくみらしいですが、活性炭に反応するのか咳が出ます。また、活性炭シートがずっと水に漬かっていると、環境菌が増殖しても除去できないので、特に抗酸菌が増えると病気になるのでシャワーヘッドの管理に気を使います。
2)活性炭+中空糸:理論上、最も除去力の高いシステムです。活性炭の粉や微生物を中空糸で除く点も良い。ただし、まことに残念な点があり、浄水カートリッジを交換直後に水を出すと咳き込みます。接着剤?と書き込んであるサイトがありましたが真相は不明です。メーカーによっても咳き込み度に違いがあります。
3)塩素の中和剤(酸化還元フィルター、亜硫酸カルシウム):
CaSO3(亜硫酸カルシウム)が水H2Oに溶けてCa2+ とSO3 2-(亜硫酸イオン)
SO3 2-(亜硫酸イオン)と残留塩素が反応して塩化物イオンCl-とSO4 2-(硫化イオン)となり
2個の硫化イオンと酸素が反応して硫酸イオンSO4 2-となるということです。最後は硫酸カルシウムになるということでしょうか。
http://www.matsuo-yakuhin.co.jp/caso3.html
 ようするに硫酸温泉の成分である硫酸イオンが出るしくみということでしょうか。
 また、亜硫酸カルシウムは、食品添加物としても利用されています。
 2の中空糸を用いたフィルターよりも水量は多くなります。
 フィルターに環境菌が生えるリスクがありますので、使用後に乾燥させています。
4)塩素の中和剤(ビタミンC):
アスコルビン酸と塩素を反応させて塩ができる反応。
ビタミンCがすぐに枯渇しそうな気もしますがどうでしょうか?
また、塩の生成量が気になるところです。
いすれにせよ、風呂場や水周りは、環境菌の増殖に適しています。浄水フィルターを使わない場合でもシャワーヘッドに鳥型抗酸菌Mycobacterium aviumが増殖してMAC感染かアレルギー性の過敏性肺臓炎かわかりませんが治療法の無い危険な状態になる症例も少ないながらに報告されています。
抗酸菌は、名の通り、酸やアルカリに強く、通常の掃除(重曹やエタノールなど)では死滅しないため消毒しにくいです。ヨード、6%酢酸(酢の原液は5%)、塩素では死滅しますが、化学物質過敏症の方は掃除に塩素を使いずらいので困り者です。
ヨードは、配管が錆びるので使用しずらいですが、水を流さずに紙で拭き取る方式で風呂場の上がり場(ドアのふちなど)を消毒しています。
 酢の原液をかけて消毒できるものといえば限られます。スポンジを消毒してみました。酢の匂いが充満するので、換気扇の下で30分おいて、その後、しつこく水洗いしました。
 近未来のSFのように水や空気を奇麗にしないとならないのは、大層、手間やコストがかかります。願わくば、普通に水道水で生活できる身体に戻れると良いなと思います。
 

市販のあんこが食べられなくなったショック!加工助剤ってなんだ?

 豆を煮るのが好きです。小豆、金時豆、黒豆も煮ます。小豆や金時豆は、一晩、水に浸けおきして翌日に数時間煮て塩と砂糖を入れれば完成するので、他には何もいれません。黒豆だけ時間がかかります。

 先日、金時豆を煮るのに珍しく重曹を入れて一度ゆでこぼして洗ってから、新しい水を入れて煮ました。食べたら、口から喉からイガイガしてとても食べられなくなりました。捨てました。
 あんころもちを貰って食べました。数分後に口から喉からイガイガして気分が悪くなりました。「あ!」と思いました。重曹入りの豆を食べたときと同じ症状でした。
 それから、市販の小豆餅や羊羹を試しました。だめだ。苦しい。羊羹は、登山中の行動食としてよく食べていたのですが、もう食べられなくなり、残念です。
 市販のあんころもちにも羊羹にも原材料「小豆」としか書いていません。何故でしょうか?
 「加工助剤」という食品添加物のくくりがあって、食品加工で用いていても残存していないということで食品表示に書かなくてよいらしいです。が、しっかり残存しているではないか、と思います。
 この冬、大好物の干し柿が食べられなくなりました。食べると口の中がイガイガして具合が悪くなります。干し柿の食品表示には「酸化防止剤(二酸化硫黄)」と書いてあります。柿が腐らないように燻すのだと知りました。非常に残念だったのですが、食べられなくなった理由がわかりました。
 カツオブシ(削りブシ)もイガイガします。そういえば、これも燻しています。出汁で咳き込んでいたことがあったのですが、関連するのでしょうか?
 加工における重曹や他の加工助剤の添加物は、食品標示がありません。乾燥芋も乾燥果物も食べられるのかどうかわからなくなってしまいました。乾燥芋を食べたらイガイガしました。悲しい。また一つ、ストレスが増えました。
 しょうがないので、自分で煮た小豆しか食べないこととになりました。小豆であれば、水に一晩浸けた後、古い炊飯ジャーのおかゆモードを3回やれば煮れることがわかりました。換気扇をつけられない日でも作れます。

香害は公害_ウエットシートの被害

 まだ化学物質過敏症を発症していなかったころ、私は、馬鹿でした。テレビのコマーシャルに乗せられて自ら様々な毒を家で使っていたのです。

 すでに数年前になる毒は、今だに消えていませんでした。ウエットシートで拭いたポスター、香料入りのアクロンで洗ったセーター、可哀想だったのは、ぬいぐるみのお尻だけが柔軟剤の臭さ。なんでか?ぬいぐるみの下に敷いていたタオルが臭かったのです。
 この毒は、何年たっても消えていませんでした。繊維に入り込む特性から何回石鹸で洗ってもおちません。捨てるしかないのです。
 捨てられるものは、まだ良いのですが、捨てられないものが困ります。臭いが出ないようにパックして放置するしかありません。取り付け家具もしかりです。
 扉は、困ります。捨てるわけにはいきません。拭きますが、臭いを放ちます。
 クローゼットも困ります。脱臭活性炭やブライトンを入れますが、ブライトン臭くなります。臭いを放つものをまず捨て、捨てられないものは缶につめ、数ヶ月かけて格闘します。
 空気清浄機は、私の場合、ごく限られたところにしか使えません。オゾンが喘息には害だからです。さらに放電式のものは、いくら掃除をしてもむしろ煙くなり、有害ですらあります。光触媒なら良いかといえば、そうでもなく、臭いやオゾンの問題がつきまといます。
 ウエットシートは、もうやめました。ついでにドライシートも臭いの強い商品と同棚に置かれるために臭いが移って使えません。今、使用できているのは、劇落ちシリーズのLECの品です。マイクロファイバーの布に石鹸をつけて拭くのが気に入っています。
 馬鹿でした。しかし、普通に売っている品の大半が害をなす、というこの現実は、異常だとしか思えません。ゲゲゲの女房の映画を観ました。サザエさんも見ました。懐かしくて涙が出ます。昭和の時代には、洗濯しても香料などつきませんでした。皆の服も臭くありませんでした。電車の中も汗くさいことはあっても電車に乗れない程の毒を皆がまき散らす環境では無かったのです。
 いったい何時からこの香害による公害がまかりとおり時代になったのでしょうか。昭和の時代に、私たちは水俣や五日市で公害を知り、公害は対策がとられてきたと誤解していないでしょうか。今、現代は、洗剤、制汗剤、消臭剤、寝具の防菌防カビ用、衣服の防虫剤、さらに農地では農薬、と無防備にしていると公害の原因に囲まれています。数年前に化学物質過敏症を発症してから、ようやくわかりました。この公害は、現在進行形だと。病気としての病態把握も不十分、治療法も無く、研究もホルムアルデヒドのみに偏った的外れな研究計画で誤った結論、医学的にも適切な対処がなされていません(誤った認識もあります)。医学が動かないために役所も動きません。新たな公害の際の常です。ごく微量のさまざまな化学物質が身体に害をなす、それが多種化学物質過敏症なのです。ラットのLD50や、動物や水生動物への毒性では決められない毒性なのだと思います。
 助けてほしい。皆が香料を使う製品の不買運動をしてほしい、企業に公害を認めて製品の販売を中止してほしい、そのように願います。
 
 

エアコンの取り付け作業者は柔軟剤をやめてください

先日、エアコンの 交換をして大失敗し、家の半分が封鎖状態となりました。私は、柔軟剤がダメです。具合が悪くなります。

工事の前日、2部屋の寝具を含めて、ほぼ全てのものを別室に移動させ、ビニール袋で本棚も壁のポスターも全てを養生。工事の日は、PM2.5マスクをして対応しました。作業途中で、作業者の方の衣服と、作業者が養生用に部屋内に持ち込んだ毛布の柔軟剤がきついと気がついたのですが、せいぜい、窓を開けることしかできませんでした。
 作業者が帰られた後が、想像を絶するひどさでした。壁を拭き、窓を拭き、空気清浄機を入れました。わが家は、夜に窓をあけると焼き肉屋の炭の煙が入ってくるため、その夜は適当なところで掃除をやめました。
 翌日に掃除をはじめ、ビニール袋の養生をはずしました。その後に、信じられないことがおきていました。ビニール袋の養生のすきまにあった本棚の本から柔軟剤のきつい臭いがするのです。本を拭きました。あちこち、拭きました。
 さらに1日たちますと、2部屋の全ての本棚の本の背や壁やポスターを指で触って臭いをかぐと、「ゲ〜っ^」と吐きそうなきつい柔軟剤の臭い。原液かと思えるほどのキツさです。さっそく本棚から本を抜き取り、半分を捨て、半分をBook Offに持っていき、すべての本を処分せざるを得なくなりました。
 被害は、本のみにとどまらず、臭いを吸った布、壁のポスター、空気清浄機、はてはベットマットまで。全て捨てました。
 約1ヶ月、別の部屋で暮らしました。
被害額が相当かかった上に、新規に購入する寝具は、防菌処理がしてあったり化学物質過敏症の私には使用できなかったり、経済的にも心身ともにも大きなストレスを被りました。
 柔軟剤が毒であることを、他人の家に入る工事や作業の方は、特にご理解いただきたいと思います。化学物質つなぎを購入して、次回以降は、それを着ない方は、うちに入れません。
 エアコン購入時に化学物質過敏症だと言ったのですが、部材のみ検討してくださいました(部材は無かったのですが)。工事の方の洗濯剤にまで言及するのは、リフォームの時はしますが、電気製品購入時に毎回するのは、気が引けていたのです。今回の件で、明確に要望を述べる必要性を強く実感しました。
 化学物質過敏症が無名の状態なのが本質的です。どこなのサイトに公害だと記載がありました。まったくもって同感です。これは、公害です。
 ついでに寝具に防菌等の薬品加工をしたものは、明記してください。まったくもって、世は異常です。

いじめっこは無知なのに何故偉そうなのか

感覚過敏やごく微量な化学物質による喘息発作は尋常なことではない。言い換えれば、通常よくある事とはレベルが違いすぎる。多種化学物質過敏。まるで知名度の低い病気だ。おまけに、感覚過敏もある。運良く想像力を働かせてくれる他人がいたとしても、その想定をはるかに上回ったレベルで患者は困ったり症状に苦しんでいる。知名度が低いので周囲に説明するとうるさがられるか嫌がられる。中には、他者への共感力を欠き、ついでに根性論の中で育ってきたことを自慢していて、さらに自分の理解できないものに恐怖や嫌気を感じる小心者のやからがいじめっ子に変貌する瞬間がある。患者には、四六時中、その危険があるといっても過言ではない。

 いじめられた。いじめたやからは、何故か偉そうである。思わず、こちらが「今後、気をつけます」と言ってしまった。怒りは、数時間後、一人になった時に数倍にふくれあがってやってくる。陰陽師に呪詛を頼みたい程に頭に血が登る。しかし、呪詛は解決法でないこともわかっている。冷静になったころに不思議に思う。いじめっ子がいじめた際に騙った理由は、そいつの無知を如実に現している。医学的知識も患者が病の発作の中で這うように力を絞って行った行為や努力も何もかもまったく知らない。知らないのに、偉そうに怒っている。努力しろと怒っている。こいつは、病気になったことが無いのだと思わなければ理解不可能である。説明したことが無いわけではない。だが、これがだめだと説明すれば、そのだめな物を振りかざして楽しむようだ。説明が耳から入っていても、共感力を欠いている。生物が共感力を進化させてきた過程は、興味深い研究テーマである。共感力の無いいじめっ子が集団の中で淘汰されなかった理由があるとしても、私のめざす人間の行くべき姿ではない。新約聖書を読めば、無知ないじめっ子がいかに多いかがわかる。イエス・キリストが無知ないじめっ子を相手にとった知恵深い行動の数々が記録されている。そう思うと、少し、心が暖かくなる。クリスマスを迎えるアドベント。孤独では無い。世の中の主流からかけはなれた闇夜に野宿する羊飼いに最初に希望が知らされたことが嬉しい。感覚過敏を持つもの、自分だけに襲ってくる化学物質、せばまる気道、苦しい呼吸。全ての病を持つものにとっての希望は、他人から理解してもらうことではない。クリスマス。無知ではなく、病を知っている、その方が希望である。

喘息と薬疹と風邪な日々

 香料過敏がはじまって2年。多種化学物質過敏症と診断されて数ヶ月。咳喘息かと勘違いをしていたら気管支喘息になっておりました。今年の春に専門医を受診し、スパイロメーターで調べたところ、息を吐きにくいことを示す数値が出ていて、ま、喘息ですね。ということで2013年秋からすでに開始していたステロイドと気管支拡張剤の吸入に加えてロイコトリエン受容体拮抗薬を試しました。ですが、腹部全面に薬疹が出て、即、中止となりました。喘息の管理は不十分なままです。

 薬疹といえば、2013年6月に海外でひいた風邪を帰国後にこじらせ、めずらしく抗生剤をもらった時に激しい薬疹を経験しました。抗生剤だけのときは、両腕のひじに紅斑が出たのみでした。その数日後、頭痛薬のアセトアミノフェンを飲んだところ、上半身から下半身に左右対称に3日間かかって全身に発疹が移っていき、古い発疹が治る一方、新しい発疹が生じてきて、最後は、足の指先まで出て脱けました。漫画的に考えると、悪いものが身体を通って抜けたような感じでしょう。その後、体力が戻るのに3ヶ月かかりました。内蔵もトラブっていたのでしょうか、辛かったです。診断的には、中毒疹。原因がウイルスなんだか薬物なんだか、両方の相互作用なんだが、わからん状態でした。悪いものを追い出す反応を身体が一生懸命していたのでしょう。以来、セフェム系抗生剤は、一切飲めないと薬手帳に記載しました。もともとペニシリンアレルギーがあったのですが、セフェム系までダメになりました。頭痛薬は、ピリン系はダメで、NSAIDSの服用もやめており、アセトアミノフェンか片頭痛トリプタンは飲めます。アセトアミノフェンは、幸い、その後も飲めています(1回200mg)。
 数週間前、この秋、1回目の風邪を引き蓄膿症に。マクロライド系抗生剤を初めて試しました。薬疹は出ず、鼻も治り、飲めてよかったと科学のありがたさを実感。
 その後、また風邪を引き、今度は、細菌による気管支炎になり、ニューキノロン系抗生剤により治癒。やはり、ありがたい。
 風邪の時は、ステロイド吸入により感染微生物を押さえられないのではないかと思いつつ、しかし、気道が荒れて喘息発作も起きるので喘息治療も必要で悩みます。それにしても、自力で風邪に打ち勝てない免疫力の弱さにも悲しいものがあります。
 私は、山登りが生き甲斐の一つのようなものなので、風邪の治りかけの暖かい日に、気分転換に低い山を登ってみました。ゼーゼーヒューヒュー。悲しい。でも気分が良い。とはいえ、気道過敏が続いているので連日は山に行かないことにして、今日は家に篭っております。
 家にいても、窓をあければ柔軟剤まみれの外気に咳き込み、じっとしても換気扇から隣の通気孔から煙い空気が流れこんできて咳き込むしまつ。
 なんだかなあ。気道過敏が治る日は、来るのでしょうか?めりめり、めりこんでしまいます。チベットの東の素晴らしい6000メートルの山々の写真でも眺めて寝ていましょう。行きたいなあ、行けるのかなあ。
 

レインマン

ようやくレインマンの映画を観た。言うまでもなく、ダステイ、ホフマンがサヴァン症候群の兄レイモンド(トム、クルーズが弟チャーリー)を演じてアカデミー賞、ゴールデングローブ賞の主演男優賞等を受賞した1988年公開の映画である。モデルになったのは、サヴァン症候群のキム・ピークさん。映画で描かれたのは、サヴァン症候群の写真記憶、数字に対する驚異的な能力が話の中心に据えてあり、そのためラズベガスのカジノで8万数千ドル儲ける。一方で、トム、クルーズが手を焼く兄の行動の細かい所で、私は一人でうけていた。映画館で観たら一人でピントのはずれた箇所で笑っていただろう。何故、うけていたかといえば、あまりにも馴染みのある行動だったから。例えば、

1.車の中で、レイモンドがラジオで聴いた一言を、「○○、バーン、○○」「○○、バーン、○○」と何十回も同じ調子で繰り返して止まらなくなるところ。
2、狭い電話ボックスに居ることが耐えられなくて、我慢できなくて、リュックを降ろそうとしたり、出ていこうとしたり、チャーリーに止められ、おならまでしてしまうところ。
3.横断歩道を渡っている途中で信号が赤になって「Do'nt walk歩くな」という標示を見て立ち止まってしまうところ。
4.チャーリーに複雑な言い回しをされてもチンプンカンプンなのに、「STOP」と言われたら止めるところ。
5.ジョーク番組のジョークがわからず、言葉通りにとって悩むところ。
6.自分のスケジュールが分刻みで決まっており、何かと忙しいこと。
などなど。何で、私のことを知っているんだ?と言いたくもなり、また、これまで、どんな映画や番組でも覚えたことのない部分の共感を感じた。このような共感を覚える人物が普通に登場人物で、病院の中ではなく、世界中を冒険してまわる映画がもっとたくさん出来ればよいのになあ。と思った。レイモンドも旅を楽しんでいたように、このような特徴を持った人も自分のやりかたで世界を旅したり、冒険することが好きなのだと信じている。Big Year(英語名)という野鳥を1年に何種見るかを競う鳥屋の映画がある。私の大好きな映画だ。鳥屋は、写真記憶がなければやっていられない。図鑑を見ていると覚えてしまうし、風切羽の何枚目の色味がどうとかと細かい特徴も一瞬で見分ける。サヴァン症候群ほどの驚異的能力はないものの、色の視覚を獲得した猿も、果物がどの樹にあるかを覚えるのに写真記憶を使うだろうし、狩りをしていた我々人類も、獲物を識別したり、毎回の狩りのシーンの写真記憶を持つように進化しているのだと思う。思えば、囲碁や将棋には写真記憶は必須の能力である。レインマンを見て共感を覚えた方は、案外、多いのではないだろうか。映画やテレビ番組を作る人がこれまで演じてきた人物像は、多様な人間のほんの一部の行動パターンなのではないだろうか。その幻想に躍らされて、それが人間らしい普通の行動だとすり込まれてきただけではなかろうか。その意味でもレインマンは、スカっとする普通の人の多彩さを描いた名作だと思う。
 

うみゃい!魚はやめられない

 久しぶりに鯖の塩焼きを食べました。うみゃい(美味しい)!私は、魚ばかり食べています。いや、いました。が、釈然としない理由で、考えて魚を食べるようにしました。

 前回、多種化学物質過敏状態であるようだとご報告しました。反応しない物は気にしない。反応するものは避ける。いたってシンプルな対応に徹し、過剰に気にすることを避ける生活を心がけました。生活の中で過剰反応を避けることも治療の一つ、ということです。
 一方で、たとえ、原因不明、病態不明と医師に言われても、頭の中に「何が原因だ?」という問いが湧くのを止めるのは難しいものです。論文検索をしてしまいます。すると、どうやら、化学物質過敏ラット系統を作製した報告がありました。すなわち、単なる精神的な過剰反応のみで説明できない、身体的な原因があるということを動物実験は示唆しています。また、ヒトの遺伝子多型の研究で、過敏性に関連する候補として挙げられている遺伝子には、肝臓での化学物質分解の際に働くチトクローム450に関連するCYP系の遺伝子、あるいは、肝臓から腎臓へと代謝物を排出する際に働くグルタチオン-S-還元酵素やN-アセチル転移酵素の遺伝子があります。つまり、ある人は、体内に取り込まれた化学物質の分解や排泄が遅い体質ということになりましょうか。なるほど、なるほど。
 話は変りますが、知りあいにアマルガム(水銀を使用した歯の詰め物、かつて、日本でも使用されていたが現在は、まず使用されない)を歯から除去したところ、ひどかった多種化学物質過敏症状が改善したという方がおられます。毛髪検査で水銀を含む有害ミネラル量を測れるとうかがい、私も毛髪検査を行ってみました。私の数ヶ月前の状態は、水銀が平均+1SDを越えて高いという結果でした。得られた値をもとに環境省が公表している値と比較しますと、日本人における平均の値の約3倍程度高い、マグロ漁船の船員の1/3程度、水俣病の患者さんの1/10以下程度という結果でした。私の歯には、アマルガムは使用していません。想像するに、マグロ、カジキ、ブリの食べ過ぎかな?と。生態系において捕食者である、大型魚は、生物濃縮により、水銀などをより多く持つことになります。厚生労働省が推奨する妊婦の方が大型魚を食べる割合は、週に80グラムですが、私は、非妊婦の成人なので、計算上、週に80グラムのお刺し身パックを13パック食べてよかろうとなります。実際に、そこまで大量に大型魚を食してはいませんでしたが、もしかすると、体内分解・排泄が遅い可能性も考えないといけないかもしれません。今のところ、チトクローム450、グルタチオン転移酵素遺伝子等の多型についての遺伝子検査は実施できませんので、あくまでも想像の範囲を超えないわけです。そういった訳で、鮭、イワシ、サンマ等の生態系の被捕食者(食べられてしまうものたち)を食べる回数を増やしている次第です。鯖は、水銀含有量が中程度ですので、一気に食べ過ぎないようにしております。それにしても、どの魚も美味しいです。
参考論文:
・Overstreet DH et al, Toxicology 111: 119-134, 1996
・海外論文の紹介 NS Prang et al, Seitschrift fur Umweltmedizin 9: 38-45, 2001、臨床環境10: 93-102, 2001
International Journal of Epidemiology 33 (5): 1-8
の和訳http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/sick_school/cs_kaigai/che_mcs_case_control_2004.html

多種化学物質過敏症(状態)の診断をいただきました

 専門医より、Multiple Chemical Sensitivity(多種化学物質過敏症、過敏状態)という診断をいただいきました。わけのわからない状態から、まずは診断書をいただける状態に格上げ(?)になったのは、大変、ありがたいことです。なにより、他人に説明しやすい。

 ただ、このMCSは、機序が不明で動物実験でも完全に再現できるとは言いがたいもよう。ノイローゼ扱いされているしまつ。精神科医の方とも過敏性が増幅される課程についてお話をしてみましたが、それでもやはり、最初に本態性の過敏状態があることにかわりは無いと考えられます。
 環境省の研究報告書を拝見しましたが、被験者の中に新居移住によるシックハウス症候群に関連すると思われる人は1名しかおられず、むしろ、多様な暴露物質が想定されるにもかかわらず、被験の刺激物質をトルエンやホルムアルデヒドに絞って暴露試験をしている点に疑問を感じました。一つ、二つの化学物質を試験したのみですから、MCSが再現できなくとも、MCSが化学物質によらないと結論づけるのは無理でしょう。ジレンマを感じます。反応しない物質については、気にしずぎず、反応する物質は避けるといった対処法でのぞみます。
 私の場合、新築集合住宅に越して着た際の新居の匂いで頭痛を起こしていたのは、すでに遠い昔。その際には、換気をすることで対処可能でしたが、今回の咳発作等は、それとは、症状も誘因物質も別です。外部に煙・ビル解体など反応物質があるために、換気どころか換気扇をつけることも危険な日常です。また、電車内や、職場などの社会活動の場所に香料や洗剤などの反応物質が蔓延していることもやっかいです。病院ですら、アロマと称して反応物質をたかれますと、一般的に身体に良いものは、私にとっては身体に悪いのだと主張したくなります。それと歩きタバコは、相当にひどい。ついでに、ボルダリングジムでタバコをもくもくと吸うのは、絶対に止めてほしい!脱力して筋肉に力が入らなくなり、もうイヤです。どこのスポーツジムに施設内でタバコを吸う施設があるか!なぜ、ボルダリングジムでは、タバコが許容されるのか。
 思うに、シックハウス症候群の台頭とは別の環境の変化が私にも、あるいは、世の中にもおきているのではないでしょうか。
 日本家屋に住んで、縁側で爪を切ったり、スイカを食べる、そんな生活に憧れます。もちろん、空気の良い環境の中でですが。
 食べ物についても、米と野菜と魚の生活が、私の体質にはあっているようです。生物ですので、たかだか数世代で新しい環境に適応するべく進化するのは無理です。

サリーとアン課題と鼻くそと共感性

 教科書に載っている自閉症の方についての記述に心の理論と呼ばれるものがあります。もともとチンパンジーは、他人の心のはたらきを理解できる能力があるのか?その心的状態の理解から相手の今後の行動を予測できるのか?といったことでした。ヒトに応用され、それが相手の行動についての想像力、さらには共感性と結びつけて語られるようになったのは、自閉症においてです。

  有名なのがサリーとアン課題と関連する一連のテストです。テストの詳細は、ググっていただければ出て来ますので省略します。はしょって書くと、二人の子供の一人が部屋を出ていきます。残った一人が玉の場所を移動させます。戻ってきた子は、玉を探す際に、どの場所をさがすでしょう?ということです。玉の位置を移動させたことを戻ってきた子は知らないので、答えは、もともと玉があった場所となります。一方で、今現在、玉がどこにあるか?ということへの回答を自閉症の方は、しがちである、ということです。
これらテストから導き出されることとして、他人の心のはたらきが理解できない、相手の次の動きを予想する想像力が無い、はては、共感性に欠けるといったことが述べられることが多いです。
 ですが、私から言わせれば、サリーとアン課題の答え方は、以前にも述べた「ナヴォン課題」と同じ傾向のものに見えます。http://wallcreeper.cocolog-nifty.com/spectrum/2014/10/post-de49.html
つまり、細部への集中です。ナヴォン課題とは異なり、サリーとアン課題は、自分の中のデータベースと照合しずらく全体を直感で理解することは難しいため、文章を聴いたり読んだりした際の理解力(読解力)が弱いとひっかかってしまいます。私には、この課題から一足飛びに他人の心の存在を理解できないと解釈してしまうこと、果ては解釈を広げて共感性にまで話を及ぼすことは、どこか間違っていると感じます。むしろ、読解力の弱さや、あるいは、玉という物質に重点を置く傾向の結果に過ぎないのではないかと想像します。
 話はコロっと変りますが、例えば、相手の話を親身に聞いているときに、一生懸命に話している相手の顔に目立つ鼻くそがついていたとします。貴方は、その鼻くその存在に気をうばわれずに相手の話に100%集中できますか?といったことです。私は、鼻くそに50%くらいは、気をそがれてしまいます。何しろ、話を聞こうと相手の顔を見ると、目が自然に鼻くそに惹きつけられてしまいますし、頭の中では、その鼻くそは取らなければならない、とグルグル思考が片隅でまわりはじめるからです。その結果として、相手の話の内容は、自分としても一生懸命聞いているのですが、聞きこぼす瞬間もでてきます。このような状況において、鼻くそに気をとられる割合が多いか、少ないか、その違いがサリーとアン課題やナヴォン課題の解答の差ではないかと私は思います。
 もう一つ、重要な観点があります。共感性は、この手の鼻くそとは別問題だということです。確かに、相手の感情よりも物質的な事、目に見える事実に重点をおいて思考する傾向は、あります。とはいえ、相手の感じていることを共感する能力は、決して低くないと言いたいのです。よりはっきり言えば、鼻くそと共感性とを関連付けて解釈しないで欲しいということです。
 共感性があるということを示すのに、動物の感情をとらえるのが上手だということが上げられると思います。テンプル・グランデインという動物学者は、自身の自閉症として備わる能力として、動物の考えることがわかることを挙げておられます。私もその感覚は、わかります。
 数年前にフランスでの会議の際に、病気の七面鳥のビデオが会場に流れたことがありました。びっこをひきながら、弱々しく歩くその七面鳥の雛は、顔をアップに撮られた際に、明らかに恐怖の表情を示していました。次の画像で、その雛の解剖された臓器の病変が写されましたが、私は、恐怖の表情の後に、その雛に何が起きたのかを想像して画面から目を背けてしまいました。後から、友人に聞くと、同じように可哀想で目を背けたと言っておりました。感情や心のはたらきを読み取るとは、その個体の全身の動き方、歩き方や肩の角度、首の傾け具合、目の力、そのような総合的な観察から推し量る能力の事だと思います。決して、サリーとアン課題のような困難な文章によるひっかけ問題から憶測してはならないと思います。そして、共感性については、判断するテストは存在していないと理解しています。自閉症の方、もしくは、自閉症スペクトラム指数の高い方が共感性が低いなどということは、あるのかないのかすらわからないというのが正確な言い方だと考えます。
 何故、この手の憶測が流布しているのでしょうか?一研究論文で仮定を検証することは許されますが、小さい現象を拡大解釈し、憶測で教科書を書いたり、教科書から引用した事を決定事項のように記載することは、望ましいことだとは思えません。
 私のこの文章も、妄想の固まりのような私見に過ぎません。ただ、私は、子供でも大人でも自閉症スペクトラム指数が高いなどの診断を受けた方に、流布に流されずに自分の感覚や共感性を信じていただきたいと考えています。自分のクセを知りつつも、他の人や生き物と共感しあう能力は、むしろ高いかもしれないと思っていただきたいです。

いじめっ子になりにくい体質はあるのか

 昨夜、壁登りの練習をして帰宅後にすぐ寝たので、空腹で早朝に目覚めてしまいました。特に見るでもなくテレビをつけていましたところ面白い番組がありました。いじめっ子の側のいじめている時の心理状態を一文字の漢字で書く、というものです。「笑」と書いた方は、自分もあざ笑われた経験があると語っておられました。「楽」と書いた方は、ある種の楽しさを覚えると素直な意見を述べておられました。ヒトの脳科学において、妬みの対象となる人の不幸が脳の快楽刺激と重なるという結果があると以前に読んでへえ〜と思ったことを思い出しました。http://www.nirs.go.jp/information/press/2008/index.php?02_12.shtml

一方で、不公平によって自分が得をしている状態をストレスと感じることもわかっているそうです。
 ところで、自閉症スペクトラム指数の高い人はいじめっ子になりにくいのではないか?と密に考えています。かなり独断的な妄想に近いものですが、そう考える理由は、このようなものです。
1.いじめっ子は、本人の中での大義名分はともあれ、いじめる相手の反応を楽しむ要素がある。
2.いじめっ子は、自分の気持ちの整理のために相手をぎゃふんと言わせたい、相手の不幸な姿を見て快感を得たいという欲求がある。
 このように思います。テレビ番組でOnce upon a timeというドラマがあります。白雪姫や魔女などおとぎの国の登場人物が現代の世界に住んでいる設定で、人間の素直な欲求が現れていて見ていて愉快な番組です。悪い魔女は、言います「踏みにじられた私の気持ちをどうしてくれるのか?おまえには、その責任をとってもらわないと私の気持ちがおさまらない」といった具合です。
 自閉症スペクトラム指数の高い人は、他人の反応を楽しむことや、他人の反応が自分の気持ちの整理に役立つ、という考え方自体になじみが薄いと私自身は感じています。もちろん、他人に踏みつけられたら気分を害します。そこに変りは、無いですが、その際に求めるのは、相手が二度と自分を痛めつけないという事実です。事実が、最も大事なこと、私にとって本質です。あるいは、誤解がある際に、他人の理解が間違っていれば正しい理解に修正することを望みはしますが、理解内容だけが事実であって、その際の相手の反応は、申し訳ありませんがcareしきれませんし(往々にして、それが相手の欲求と食い違うことになるのですが)、まして楽しむといった境地に達することは困難でしょう。
 自閉症スペクトラム指数の高い人にも他人の不幸を喜ぶ脳のしくみは、同じようにあると思います。結果として、相手にいじめられていると受け取られることもあるかもしれませんが、そのような時の自分の心を漢字一文字で表すとしたら、「笑」や「楽」は、出て来ないと思います。「叱」(しかる)ぐらいでしょうか。そういえば、私の笑いのつぼは、周囲の方とはズレているようです。
笑いのつぼは文化です。イギリスでの国際会議の際に、イギリス人は、他人の行動をネタに笑うのが好きなんだなと知りましたが、嘲笑に似たような笑いでした。話題は、日本人の行動が嘲笑のネタでしたので、会場において、私ばかりは、クスりとも笑いませんでした(あたりまえです)。周りが笑っていても自分がおかしくなければ笑わないという行動を自然にとれることも、自閉症スペクトラム指数の高い人の魅力だと考えています。いじめの問題は、複雑ですが、少なくとも相手のいやがっている反応を楽しむ、という事を実行できるには、それなりの脳のしくみを備えている必要があると思います。
そのしくみが欠落した脳として生まれたとすれば、そればそれで素晴らしい事、誇れることだと考えています。

ただの後天的な感覚過敏もあるのではないか

 ここ数週間、化学物質に過敏な状態を体験しています。これまで平気だったもので咳発作が起きます。例えば、保湿テイッシュペーパー。ローション入り。鼻をかもうと箱から引き抜いた途端に咳が出続け、何が起きているのか理解するのにしばらくかかりました。それから、マスク。以前から使っていた活性炭入りマスクをすると、口中がイガイガすることがわかるまで、1週間以上かかりました。何しろ、香水の匂いを鼻が感じた時にくだんのマスクをするので、マスクが外の空気を防ぎきれずに口の中がイガイガするのだと考えていたわけです。しかしながら、なんと!マスクそのものから発する何かの物質が、ある日を境に害を及ぼすように、こちらのセンサーが変ってしまったようでした。別メーカーのマスクに換え、今のところイガイガは無くなりました。外部の刺激自体が、マスク無しでも咳発作を誘発するこ

とに変りはありませんでした。
 さらに、機序はわかりませんが、そのような時、咳をした後に筋肉が重くなったように力が入りにくくなったり、脱力感を覚えたりします。関係はわかりませんが、インフルエンザにかかりはじめに背骨が痛くなることがありますが、その弱い感じがあったり微熱がでたりもします。驚きました。
 私には、抗生物質アレルギーと称される体質があります。花粉症などのアレルギーとは別のしくみで起こるようで、厳密には過敏ということなのでしょう。この抗生物質とは、合成可能な小分子の化学物質ですので、他の化学物質に過敏になりやすい体質なのでしょうか?疫学調査があれば知りたいものですが、化学物質過敏症が臨床で診断される体制が不十分なのが現状です。まずは、診断基準をオーソライズし、罹患率調査をすることから始める必要があると素人ながら感じます。
 ところで、診断基準の主な症状には含まれていないようですが、化学物質過敏症に関連した症状に「知覚過敏」があるようでびっくりしました。蛍光燈やLEDが眩しい、音に敏感など、視聴覚の過敏です。へえ〜です。ということは、後天的に感覚過敏になる場合があるということでしょうか。もちろん、先天的に感覚過敏のある人が化学物質過敏になりやすい、という可能性もあります。どちらなのか不明ですが、仮に後天的な感覚過敏があるのであれば、教科書において、感覚過敏と抱き合わせで語られる自閉症関連の発達障害ですが、発達障害が有る例と無い例の両者があるということになります。ここは、大事なポイントではないかと考えています。感覚過敏がある方のグループで話しをしますと、所謂、人間関係に関する発達障害の特徴は、自分には無い、という方も複数おられます。
 そのあたり、今後、理解を深めていければと思っています。

洗剤とサヨナラ_柔軟剤・香水問題

 昨年の秋に続き、咳喘息になっています。柔軟剤や香水をつけたとおぼしき方の近くにいますと、職場でも電車の中でも、私の気管がぎゅっと狭くなるのを感じます。喉が痛くなる、声が嗄れるだけのときもあります。気道が過敏になっているようです。

 炭火や、たき火、何かを燃やす煙もだめで、焼鳥屋や飲み屋で魚を焼いているのが排気口から出てくるものにも反応します。悲しいかな、昨年秋に最初に咳喘息だと気がついたのは、山小屋の煙、ならびに山の冷たい空気で咳発作が起きた時でした。
 工事現場も火花が出るのでしょうか、反応します。
 洗剤で食器を洗いますと、鼻水が垂れます。鼻と喉は、別個に反応していますが、同じものが原因と見ています。ちなみに、以前に調べた血液反応で陰性のものは、今回の原因と見ないこととしました(ハウスダストや数種類のカビなど)。気道過敏になりますと、洗剤やら化学物質に反応してしまうそうです。
 昨今のもろもろにかんがみ、先週末に家の中を改善しました。改善点は、以下の通りです。
1、自分の持っていた香水を家族にあげた。決心した日に送った。
2、洗濯用洗剤を捨てた。シャボンダマEM液体洗濯せっけんにした。
3、台所洗剤を捨てた。シャボンダマEM食器洗い液体せっけんにした。
4、重曹クリーナーをトイレ、風呂、台所の掃除用とした。
5、化粧品(乳液と化粧水しか使用していないが)を無香料のみとした。
6、空気清浄機(チタンアパタイトとイオン発生器付き)を寝室に置いた。
7、卓上イオン発生器を職場のデスクに置いた。
 シャンプー、リンス、石鹸は、すでにシャボンダマ石鹸シリーズに変えてあったので、そのままです。
8、医者に行き、朝晩のステロイド吸入を再開した。
9、粉末ハス(レンコン)を溶かして飲む。
10、すでに飲んでいた抗ヒスタミン薬を増量。
 昨年は、吸入治療を数ヶ月間したところで、煙に反応しなくなりました。花粉症の期間は、吸入を続けました。早く治りたいですが、焦りは禁物です。来年もなりかねないですし、そもそも、今回、治るのか、治ってほしいです。
 ただでさえ鋭い嗅覚で困っていた私にとって、柔軟剤・香水問題は、ものすごいストレス増大になっています。嗅覚もますますアップしていますので、香るだけで身構えます。特に、職場が大変困ります。マスクを5種類ほど購入して試した結果、「PM2.5対策マスク」で頬の紐を引くことで顔に密着するタイプのものが、最も外気がマスク内に侵入してこないことが判明。しかし、完全に防ぐことはできず、職場では、香る人の姿から逃げ回っている状態です。自分の机から逃げ出すようでは、能率も低下します。
 しかしながら、同じ場所でがまんしていると声が嗄れるのみならず、快復の妨げになります。精神的にも、その場所にとどまって辛い日があると、翌日以降、その場所に行くこと自体がストレスになってしまいます。先日、ニンニク臭くて自分の部屋に入れなかった日があり、その翌日、職場の自分の椅子に座ったとたんに呼吸が速くなって、鼓動がバクバクして、これはパニック発作では?という状態になったことがありました。その時は、発生源にお願いをするという行動に出たところ、息が上がった状態から抜け出ることができました。我慢しすぎることへの反省になりました。また、私にとって強迫性は、子供のころからの親しい存在です。調子が狂うと、あっという間に強迫性状態に陥ります。他の人がストレスを感じない部分(日にあたるとか、息をするとか、蛍光燈がある普通の部屋にいるとか、皆が食べれるものを食べると具合が悪くなるとか)で、常にストレスをある程度感じていますので、ストレスには強い一方で、そこにストレスが追加されますと閾値に達してしまうようです。なので、強迫性という、やや病的な状態への移行は、あっという間です。強迫性状態になると、本人もとてもとても疲れます。悪循環に陥りますので、できることならその状態に陥りたくないのです。なので、やはり、ストレスを避ける、できうるならマイルドな方法で、周りとトラブルにならず、かつ、本人も耐えられる限界内でということでしょうか。国民消費者センターの柔軟剤への苦情も、近年、強い香りの製品が出てから増加したそうです。しかし、これ、ご本人には、言い出せない。困るのです。
 今、私にとっては、安心して息ができること、それが毎日の望みです。
 そうそう、この間に良いこともありました。山用品のダウン(羽毛)や、新素材用の洗濯剤があります。イギリス製の高価なものなので、いつもチビチビと使用していましたが、このほど、シャボンダマEM液体洗濯せっけんと同じ成分(脂肪酸カリウム)であることがわかりました。今後は、高価なイギリス製を使わずとも、何でも洗えます。毛糸洗いのア○○ンも長年使用してきましたが、なんとかブーケの香りなるものが付いてしまい、今回、それもサヨナラ。毛糸も石鹸で洗ってみました。縮まないでね。
 

グルテンは麦です

 食べ物の話をしよう。私は、中学生の頃から、神経性胃炎と言われ続けました。内視鏡検査が行われるようになると、胃の表層がただれやすいと言われ続け、ある年は、「胃が血だらけなので、今日、入院してください」と言われました(入院はしなかったが)。食べると胃が痛くなる食べ物、だるくなる食べ物、腹部膨満感というのか、お腹が狸のようになって良く寝れない食べ物が、ものすごくあります。お腹が狸になるのは、毎日のことで、ゲフゲフしているために、逆流性食道炎にもなります。いつも、胃酸を抑える薬を飲み、胃腸の動きをよくする薬を飲んでいました。年中、だるく、頭がぼーっとする感じがありました。

 約8ヶ月前、視覚過敏の色付き眼鏡フィルターの会の参加者の方のブログにグルテンを止める話がのっていたのを読みました。欧米に小麦を消化できないシリアック病の子供がいることは知っていましたが、自分はシリアック病でないので、関連性を見いだしていませんでした。ただ、グルテン不耐性という考え方が載っていて、その症状の「腹部膨満感」「頭がぼーっとする」に覚えがありました。まず、医療機関で小麦アレルギーを調べると陰性でした。ただ、グルテン不耐性は、臨床では診断できないということで、自宅での調べ方は、以下のように簡単でした。
1、2週間、小麦や大麦の含まれない食事のみをする。
2、その後、2週間、小麦や大麦をたくさん食べる。
3、その後、小麦や大麦の含まれない食事のみをする。
 実験を開始して1週間もすると、気のせいか狸腹が少し減ったようで、頭が少しすっきりしたようでした。また、小麦を再開したところ、懐かしいだるさがやってきました。そこで、試しに小麦や大麦をとらない食事をし続け、そのまま、すでに8ヶ月ということになりました。
 この期間内に、牛乳を大量に飲んだところ下痢をした日があり、乳糖不耐性についても同時に対処しようと、アカデイ生活に換えました。これまで、毎朝、パンとミルク紅茶でしたのが、おかゆとアカデイー入り紅茶になりました。身体の芯がだるい、頭がぼーっとする、という日がぐっと減りました。
 ところで、この間に、国際会議への参加にあたり、食べ物についての事前申請の中に「グルテンフリー食を希望します」という項目がありましたので、興味もあって、その食事を希望しました。会議の一般の昼食は、バイキング方式で、じゃがいもや米が主体でしたので、「これなら、特別メニューを頼む必要は無かったな」と思いました。ですが、すでにお願いしてあったので、私には特別メニューが用意してありました。銀の小皿にのせられた白米のようなものに、焼いた鳥肉とブロッコリー。パクパク全部食べて、シェフにお礼を言って握手しました。その午後、お腹が大層、狸になりました。風邪で体調を崩したせいか、熱っぽく、だるくなりました。何とか夜の予定をすませホテルに帰りましたが、お腹は盛大に狸のまま。寝つきも悪く、翌日は、朝から頭がぼーっとして大層具合が悪い。できるならお粥だけ食べたい。その日の昼ご飯は、私の特別メニューを食べるのを手伝ってもらおうと、友人と同じテーブルに座りました。その日は、小皿に前日と同様の白米のようなものと、もう一品、マカロニのゆでたものがありました。マカロニは、小麦だよなあ。とマカロニには触らず、違和感を覚えつつ、食事をし、ほぼ、食事を終えたころに、昨日から食べていた小皿の白米のようなものをしげしげと眺めてみました。悲しいかな、老眼の私は、眼鏡をはずして、しげしげと眺めてみました。で、驚きました。小皿には、100%麦飯がのっておりました。オオ、マイ!つまり、会議の主催者は、グルテンフリー食として、小麦を提供し続けてくださったわけです。一般食には、米とじゃがいもという、真のグルテンフリー食があったにもかかわらずです。彼らは、何を勘違いしたのか、グルテンフリーを米フリーと間違え、グルテンが大量に含まれる麦飯を提供してくださったわけでした。その夜、這ってでも行きたかった会議のデイナーの前に、私は熱があがって寒気がして、ついにデイナーにでることはならず、ホテルの布団でうんうんとうなって狸腹をさすっておりました。帰国後、風邪による39度の発熱と全身発疹(薬疹)もおまけに付いて、元気になるのに1ヶ月かかりました。
 皆さん、グルテンとは、小麦や大麦に含まれているものです。グルテンフリー食には、米とじゃがいも、とうもろこしを出してくださいね。

チックと噛みしめとタオルケット

 触覚の話から。私が子供の頃に、タオルケットを持って家中を移動していたことは、以前にもご紹介しました。今日、はたと気がつきました。私は、いまだにタオルケットを卒業していないようです。と言いますのは、私には、読書の趣味があり、日がな一日、本を読んでいることや、本を読んでいたくなる気分の日があります。読書自体は、ごく一般の趣味ですが、私の場合(これが一般的かどうかは、知りませんが)、読書することイコール、タオルケットの中に一日中いること、となります。読書は、寝た格好でするということですね。昔から、これを「水平思考」と勝手に名付けていました。高校生時代、哲学から宗教、文学から科学、はては、漫画にいたるまで全ての本を寝た格好で読みつつ、なんだかんだと考えていたために、その頃つけた呼び方です。

 普段は、外出モードや家にいても片づけたり料理したりと動き回るモードですが、一端、読書モード、すなわち水平思考モードに入りますと、これ、もう、ほとんど動きません。食事は、なおざりになり、パソコンなど見る気も起きない。かといって、鬱なわけでは、ありません。一般的な本好きの生活なだけでして、本を楽しむこともできます。
 では、何故、座って本を読まずにタオルケットの中で水平思考なのか?気がついたのは、タオルケットの中が、リラックス空間だからではないでしょうか。つまり、安心できる。
 ここで話が変りますが、チックという現象をご存知でしょうか?不随意に顔の一部の筋肉が動くことで、「とまれ」と命令してもとまってくれません。「何分、動かさずにいられるか」とやってみても無駄で、かえって頻度が増してしまいます。緊張が近づくとチックの頻度は増えます。すごく緊張している間は出ないですが、緊張がとけると、すごい頻度でチックチックチクチクと出続けることもあります。実は、このチック、起きている間、ずっとやっておりますと、本人は、結構疲れます。私の場合、顔のチックのかわりに(あるいは一緒に)歯の噛みしめが出ます。噛みしめには、癖として治せる方もおられるそうです。私もマウスピースをつけて改善をはかるのですが、はずせば、もとの木阿弥です。口をあけているなど、まるで効きません。子供の頃には、チックのみならず、複数の妙な動き方のパターンを持っていましたが、今、現在、チックと噛みしめが主な妙な動きになっています。
 で、タオルケットですが、たまに、水平思考をしていて気がつくと、チックも噛みしめも止んでいることがあります。
 自分では意識していませんが、私のような体質のものは、現代生活において、常に何かで緊張しているのではないでしょうか。それが、破綻寸前になると、身体がリラックスを求める。そこでタオルケットの中で水平思考をしたくなる。というワケなのかもしれません。
 触覚過敏という言い方は、むしろ表面的な物言いであって、人によっては、触覚によって立つ生活があり得るのではないでしょうか(私の場合、ほとんど役立てていませんが)?視覚過敏の知りあいに、触覚過敏のある方がおられて、家族は呉服屋だったというお話しをうかがったことがあります。「それだ!」と私は、申し上げました。触覚が敏感だからこそ、良い生地と安物の生地を触ることで感じ取ることができる職人。触覚を発達させた職人が、つい最近まで、日本には、大勢おられました。呉服屋さんは、その一例です。おそらく、日本文化の中にも世界の文化の中にも、人間の感覚を研ぎ澄ませ、その感覚に知識を加味した職人技を磨きあげてきた一面があったと思います。発達障害、感覚過敏、そのような呼び方ではなく、誇り高い私の感覚!と大手をふって生活できる世の中であってほしいと願うものです。

秋は芳香がする

 鹿が鳴く紅葉の山に行ってきました。落ち葉が一面に山肌を覆い、踏みしめると芳香がします。芳香とは、良い香りという意味ですが、化学の用語に芳香族化合物と呼ばれるベンゼン環をもつ構造の一群があります(全てが芳香があるわけでは無いらしいですが)。落ち葉を分解する微生物が芳香族化合物をつくっているので、秋の山は良い匂いがするのでしょうか。

 前回、山に登った時には、下山時に渋滞ができる程の人出で、道ですれ違う人が服に付けているデオドラントや香水の刺激により、私は、たびたび咳こんでしまい、呼吸が乱れて困りましたが、今回は、そのような事もなく、快適な山旅でした。落ち葉の匂いや、樹の匂いをいっぱいに吸い込むと、なんとも言えぬ良い気持ちになります。
 私が山に興じていた時代のほとんどは、山ブームと山ブームの間だったらしく、山で人に合うことはあっても、それが苦になる程ではありませんでした。ですが、昨今は大変に人出が多く、休憩場所でタバコやデオドラントの害を受けることもしばしばです。私は、人の姿を見ると避けたくなる結果、登って下山するまで、ほとんど休まず歩きとおすはめになります。今回は、うまく休憩場所やタイミングを見計らうことができましたが、川近くの森の倒木に腰掛けた際に、近くにコケが生えていて、触るとフカフカしました。コケのフカフカ感は、とても気持ちが良く、うっとりでした。
 岩場を歩く時に、とても好きな岩場と苦手な岩場があります。両手を使ってよじ登る方式の岩場の歩き方は、子供のようにただ楽しいのです。もともとバランス感覚が悪いので、少しづつでも苦手なところが苦手で無くなる日が来るように練習します。バランスの悪さについては、また、別の機会に。とにもかくにも、岩場の山頂から眺める秋の山々と秋の山の匂いは、最高です。
 

会議でも、全体は直感で細部はじっくりと

「全体は直感で、細部はじっくりと」を聴覚に当てはめてみることもできます。

 私は、茶飲み話が好きです。ですが、1対1、マンツーマンでないと話しづらいです。複数の人があちらこちらで話をする飲み会は、いろいろな意味で好きではありません。けれども、会議は、平気です。会議は、食べ物に例えると、大きな寄せ鍋のようなもので、入っている具は、たくさんありますが、一度に話をするのは一人ですので、一つづつ処理できます。会議に継続して出席していますと、大方の事は、以前の議題と関連があります。ですので、頭の中のデータベースと照合させれば、何が起きていて、何が新しいかの理解は、やはり、直感で行われます。会議では、皆がわかっていることを改めて要約したり、概要をまとめたりすることは最低限に済ませて、くどくどと説明しません。このことは、全体を直感で把握する方法にとっては、ありがたいことです。むしろ、皆が気付いていない点を指摘したり、新しい情報を補填したりするために、人々は発言します。この点も、新しい事については細部まで考えるやり方に好都合です。
 もしも、目立ってしまうことがあるとすれば、細部で理解できない点があると、そこが解決しないと次の話題に頭を切り替えられないことでしょう。そのような時は、質問をすることになりますね。議長が知識豊富な方であれば問題なく理解に至りますが、議長が知識が少ない方でその自覚が無い方ですと、これがトラブルに発展することがあります。そうなりますと、こちらのデータベースを全て広げて見せる程の時間はとれませんので、こちらの説明力の乏しさと相まって、「変ってるね」の一言で切り捨てられてしまうことがあります。辛いです。そのような時は、黙ってしまって、後から猛烈に腹をたてています。
 私は、たいがいにおいて、今すべき大事な事は何か?とか、この機械のしくみを理解できていれば、当然の結果としてこの行動をとるしかない、この規則ができた目的や経緯はこうなのだから守るにちがいない。といった論理に基づいて思考をしています。ですが、世の中の多くの方は、そうではないらしく、誰かの気持ちや立場だったり、周りの目だったりするようなのです。ここでも、もののとらえ方が根本から違うことが理解しあえれば良いのにと思います。
 びっこをひいた猫が目の前を通りすぎるとします。私は、まず直感で猫であり、歩き方から見て前足にトラブルがあることを判断し、数秒後には、びっこの原因の追求に集中し、トゲがささっていれば抜くことだけに意識を向けます。けれども、ある人にとって重要な事は、この猫はだれの猫で、どうやってこの敷地に入ってきたのか、ということかもしれません。どちらがより正しいということでは無いにしても、せめて、私が、何故、猫の前足ばかりをひっくり返して調べているのか、その訳に気がついてもらえたら、ちょっと楽になるのになと思います。少なくとも、教科書に細部にこだわって視野をひろげることができない、などと書いてもらっては困ります。
 

全体は直感で、細部はじっくりと

「ぼくには数字が風景に見える」を書いたダニエル・タメット氏は、脳科学研究者に彼の物の見かたを説明しておられます。「ナヴォン課題」と言われる作業では、例えば小さいAが連なってHの形にした文字や、小さいHが連なってAの形をした文字が見せられ、大きな文字(HやA)を答えるのだそうです。自閉症の方は、大きな文字では無く、文字を構成している小さい文字(AやH)を答える回数が、非自閉症の方よりも多い、ということだそうです。私も、同様の傾向があります。思うに、この現象は、視覚異常による遠近感の無さの影響ではないかと想像されるのです。色付き眼鏡フィルターの有る、無しの二つの条件で、この課題をやってみたいものです。

 ここからが本題ですが、このような自閉症の方の傾向を飛躍させ、発達障害のある子供や大人は、「ものの細部に集中しすぎて、視野を広げることができない」と書かれた教科書があります。私に言わせれば、これは、まったくの憶測であって、当事者に話しを聞いたことが無い方が執筆されたと思えます。そう、断固、違うと言いたいのです。要は、ものの認識の仕方が違っているだけなのです。
 説明しますと、私は、ものの全体は、直感で瞬時にとらえます。直感を働かせることができるのは、頭の中にもののデータベースが構築されているからです。そこで照合させ、ものの全体を、まずは理解します。その上で、次のステップとして、データベースに無いもの、つまりは新しく出会ったものについては、穴があくほどにじっくりと集中して観察します。
 具体例を野鳥であげましょう。生物の観察がお好きな方は、どなたでも行っていることですが、例えば、鳩がいるとします。見たことの無い鳩だとしましょう。ですが、全体に見て「鳩の仲間だ」ということを野鳥の知識、頭のデータベースに照合してまずは決定してしまいます。そして、そこからが本番で、目の前の鳩の風切羽のどこが何色で、尾の長さは身体の他の部位との比率でどの程度なのか、目の光彩の色は何色で、といった新しい観察をしていきます。そこで、別のデータベースに答えがあれば、それを導きだし、無ければ、新規データとして加えていく作業をします。どうですか、極めて論理的な思考ですよね。これをしているに過ぎないのです。
 ところが、鳩を知らない人は、鳩であることを言葉で説明しようとします。色は黒くない、カアと啼かないからカラスではない、スズメより大きい、といった類いのことを言葉で(ここがポイント)、順を追って(これもポイント)考えるようです。ここで、両者が話しをしようとしたと仮定しましょう。直感で、すでに鳩であることが分かり切っているAさんは、この鳥の目の色が大変珍しいことに気付き、この鳥の観察は、日本初記録かもしれないと興奮しています。そこにもってきて、この二本の足であるく羽のある生き物は、どうやらカアとは啼かないようだね、といった分かり切ったことをくどくどと述べるBさんが話しだしたら、どうなるでしょう。玄人と素人、お話になりません。さらに、よくあるケースは、素人のBさんは、順を追って説明することが大好きで、Aさんが何かを言うと、「ほら、話が飛んだ。君と話すと順序が狂ってしまって、疲れてしょうがない」などと言うのです。
 テレビでマサイ族の狩猟民族が、いかに生き物の形をパターン認識で、瞬時に答えられるかについて見たことがあります。この人達は、私と同類だ、と心底、感じたものです。
 全体は、直感で把握し、新しいことにこそ意識を集中させる。極めて論理的なものの見方をしているだけなのです。多くの誤解は、直感を言葉で説明することはできないために、また、説明することを受け入れられない世の中のために生じているだけなのだと思います。

茶わん蒸しは、惜しい

 私の好物は、プリンです。似た食べ物に茶わん蒸しがあります。私に言わせれば、茶わん蒸しは、惜しいのです。

 何が惜しいかということを説明しましょう。プリンの美味しさは、その滑らかな生地の舌触りと、どこまでも続く均一性です。同じものを茶わん蒸しに求めてみます。滑らかで均一の生地を匙(さじ)ですくっていきますと、そこに突然、銀杏が現れます。しょうがないので、銀杏も匙でひろってあげます。食べます。と、どうしても、卵の生地と銀杏は味が混ざります。どちらの味も好きですが、混じる、ということで単一に食べたい欲求は、我慢を強いられます。気を取り直して、匙を入れなおし、のびやかな生地をすくい、生地だけを食べます。プリンみたいです。三度目に匙を入れてみますと、今度は、塊にぶつかって匙がすすみません。ややっと、塊を掘り出してみますと、鶏肉です。匙の上に乗っかってしまいましたからには、これを口に運ばざるを得ません。鶏肉は、美味ですが、匙には、卵の生地ものっていました。残念なことに、生地の滑らかな触感が鶏肉の触感に負けています。
 茶わん蒸しに、プリンを期待してはいけないのです。茶わん蒸しも好きですが、一番は、やはりプリンです。すべすべした滑らかな触感、それだけでご馳走なのです。

ゴルゴ13は、触覚異常があるのか?

「俺の後に立つな。」これは、ゴルゴ13の台詞です。ゴルゴ13は、天才スナイパーで、かすかな気配をも感じ取り、いかなる過酷な環境下でも生き延びます。そのゴルゴ13の上記の台詞を読んだ時に、私は、アレッと思いました。何故かといえば、単純に、私も後に人が居ることが大嫌いだと、ただそれだけです。しかしながら、言いたいのは、気配というものは目に見えませんが、ヒトは、確かに気配を感じとるセンサーを持っていると思いますし、そのセンサーと触覚は、関係があるのではないかと言いたいのです。

 私の触覚異常は、生地の肌触りに限るものではありません。誰かに触られること自体が苦手なのですが、実は、それだけにとどまらず、自分の周囲に誰か人が居るということが、すでに苦手なのです。周囲の範囲が、数十センチなのか、数メートルなのかは、状況によって変ります。満員電車では、あきらめて耐えていますので贅沢は言えません。職場で後の席に人が座る場合は、数十センチは最低でも必要となります。でないと、尻のあたりがそわそわして、背面がもぞもぞして、落ちついて座っていられなくなり、つい立ち上がって歩き回ってしまいます。これが、登山道を下っているときですと、数十メートル離れていないと、常に背面に気配を感じることになります。声や足音ではなく、人が居るということが何故かわかる、という感覚です。これは、人に限らず、野生動物や鳥でも気配を感じるときもあります(いつもでは、ありません)。
 背面などに気配を感じるということは、生物学で説明することは難しいですが、しくみがある可能性はあります(話は飛びますが、最近、恐怖で背筋が凍るという言い回しが生物学的にも説明されました)。日本では、古来、武道家は、かすかな気配を感じとって刀をふるうわけですし、修業によってその能力を磨いた歴史上の人物の話はたくさんあります。
 私が感じている触覚にも、使い道があるのかなと思うことにしています。野生動物の気配を感じられる時は、ものすごく嬉しいです。あ、やっぱり、居たのね!という感じでしょうか、野生人なのでしょう。おそらく、狩猟の際に必要な能力だったのでしょう。私の中に、狩猟をしていた頃の遺伝子が発現されているのだと考えることにしています。


鼻が利く母

 嗅覚については、あまりお得な事象を思い浮かべられない。現在のところ、困ることの方が多いのだろう。

 感覚については、聴覚は音楽や語学に、触覚は生地屋や武道家に、味覚は料理人に才能が花開くこともあろう。そういう意味では、嗅覚の特技は、何だろう?聞き酒とか味覚との関係?
 子供の頃、姉と一緒に香水造りの遊びをよくしました。なんのことはない、鏡台の上の様々なビンの中身を混ぜ合わせて調合するのです。この迷惑な遊びは、当然、母が留守の時に決行されるのですが、帰宅した母は、いつも、開口一番に「あんた達、またやったのね」とわかってしまう。わが家では、「くさい」と年中言う人が少なくとも二人以上いたので、どこの家庭でもそのようなものだと思っていたが、どうやら、そうでは無いらしいと知ったのは、ごく最近のことでした。
 私の場合、嗅覚を利用するのは、食材が腐ってないか嗅ぐくらいかもしれない。
 好きな匂いは、秋の森の匂いで、鹿がキュー、ヒャーと鳴き交わすのを聞きながら、誰もいない無人の森の冷たい空気を吸うのが好きです。

耳が良いことは語学の味方

小学生の時にピアノを習っていたのですが、ある日、唐突に「先生、辞めます」と辞めてしまいました。先日、色つき眼鏡フィルターのフィッテイングの際に気がついた事があります。私は、物理的に五線紙上の音符が読めないのです。♪の黒丸が五線紙の下から二番目と三番目の間にある、ということが見えません。5本の線がにじんでしまう。楽譜に指をつけて、下から1本目、2本目と数えてようやく「ソ」とカタカナで楽譜に記載します。ただし、小学生の時には、まるで気がついていませんでした。想像するに、楽譜を見てピアノを弾いていたのではなく、先行する姉の弾いていた曲を覚えていて、真似て弾いていたのではないかと思います。子供は皆、天才だといいますが、今現在、もはや、私には、そのような離れ業は出来ません。

 しかしながら、耳が良いのではないかと思うことは、語学の習得においてありました。学業において語学の成績はけっして良くありませんでした。文法試験もしかり。ただし、外国に住んだことのある私は、当地において外国語を聞いて生活していますと、子供のように、現地人の発音で話せるようになることがありました。聞いて、発音を真似ることがとても好きで、意味の前に音から入ります。そして、何十年たっても忘れていないのです。自転車に乗れるようになるがごとく、外国語が身につく、という類いの学習法なのだと思います。語意は、ものすごく限られていますが、耳学習のおかげで発音だけは良いのです。
 音楽を学んでいないので絶対音感とは呼ばないのですが、類似の音程を聞き分けたり、再現することは、少しはできるような気がします。鳥屋なら誰でもできることですが、鳥の鳴き声と鳥の種名を頭の中でリンクさせています。鳥の声を真似できる程に複雑な音は発声できないのは、悲しいです。鳥は鳴管がある種もいますので、ヒトには出せない音もあります。鳥のように啼けたら、鳥と鳴き交わせたら、さぞかし楽しかろうと思います。
 

斜位はバードウオッチングに有利

 昨年、眼鏡を作る際に、斜視の検査を生まれて初めてしていただきました。斜位といって、二つの眼球において、中心の軸が平行に正面を向いていない目玉だそうです(外側に向いているパターンでした)。

 例えば、パソコンの文字に焦点をあてている時には、筋肉で、両目玉をぐっと引き寄せて焦点を合わせているらしく、筋肉疲労からくる頭痛も起きやすいと説明されました。プリズムレンズで筋肉疲労を緩和する眼鏡をパソコン用に作りました。
 ただ、この外斜位ですが、考えてみれば、これまでの生活の中で思いあたるフシが多いにありました。例えば、こんな事です。
1)双眼鏡が好き
2)単眼鏡(フィールドスコープ)が好き
3)顕微鏡が好き
4)野鳥を見つけやすい
 特に4の野鳥を見つけやすい、というのは、私がバードウオッチングをする鳥屋なので鳥の話題なのですが、つまり、視野を広くするのがいとも簡単なのです。おそらく、鳥を探す時は、無意識のうちに、焦点をあてない見方をしながら、広い視野をサーチしていて、何かがあるとぼんやりと感じると、そこに焦点を合わせているのでしょう。誰かと話しをしながら道を歩いているときでも、私には、電線の上の鳥の姿や、駅構内のツバメの巣などが、視野に入っています。もちろん、話をしている相手の方は、私の顔に焦点をあててくださっていますので、彼らの目には、電線のモズも天井のツバメの巣も入ってはおられません。「あ、モズだ」と私が突然に言い出すので戸惑われるという展開になります。
 私は、球技は、からきし苦手ですが(球が大きければよかろうとバスケットボール部に入っていたことがありますが、ヘタでした)、サッカーをする方などにも視野の広い方がおられると聞いたことがあります。しくみがどのようなのかはわかりませんが。
 思い返せば、自分の感覚をうまく活かす生活を、子供の頃からやっていたようです。鳥や山は、その一つだったのだな、と最近になって再認識しています。
 

嫌いな味と匂いのダメダメな関係

 味覚は、育った家庭環境の影響が大きいと思います。香辛料をよく食べる国の人は、あまり食べない国の人よりも、子供時代から辛さを感じないといいます。マウスの実験でも似たようなことが起こるようです。

 その点、私の味覚は、純日本的にできています。最近になって流行っている強い刺激的な味は、嫌いです。ニンニクは、とても嫌いで、昨今では、ほぼ全てのレトルトカレーや総菜、外食に入っているため、それらが食べられなくなりました。ほんのわずかでも入っていることがわかります。ガーリックパウダーは、特に嫌な匂いがします。匂いと味覚は、関係があるのでしょう。ニンニクの匂いもダメです。ダメというのは、ただ嫌いというにとどまらず、ダメな物が自分の側にあると、ひたすら気分が悪くなります。その辺りが、尋常では無いようで、ただ、もう、ひたすらに逃げようとしますし、場合によっては、原因となる存在に対して攻撃的になりますが、これらは、生物の自己保存の欲求だと言っても過言ではないと思う程です。
 私の行動のいくらかの原因は、ダメなものからの逃避であり、ダメなものの回避であります。たかが、そんな事で!と思われる場合が多いようですが、私からすると堪え難き事ばかりです。道具を使用して、他者と一緒の場にとどまろうと努力しますが、努力には限界があり、結局は、ストレスを感じていない者たちと同じ環境にとどまることには無理があります。
 味全般に関しては、素材の味を一つ一つ味わうことが好きです。料理というよりは、一つの野菜を煮ている。魚を焼いている。という類いで、単純ながら皿数が多い食事を自炊しています。鍋やおでんのように複数の具があるように見えるものも、食べる時は、一つづつ食べていますので、味は混ざっていません。ミックスナッツを食べる時は、アーモンド、カシューナッツ、クルミと一つづつ順に食し、各味を楽しむような食べ方をします。
 コンビニが出来てからは、外に居ても食べられるものが増えました。おにぎりは最高です。具が一種類(鮭、梅干し、こんぶ、シーチキン等)なので、食べていても安心感があります。
 二つ以上の味が混ざることを楽しめる料理もあります。特に好きなのは、オムライスです。卵とごはんとケチャップを同時に楽しむという楽しい感じがウキウキします。
 逆にパクチーが大好きすぎるという知りあいもいますが、私の場合、香辛料については、胃が痛くなるのでトウガラシが苦手ですが、パクチー、クミン、コリアンダー、ミント、バジルなど問題は無いです。
 何故かはわかりませんが、オリーブオイルを食べると大きく体調を崩します。

ちくちくすることと化繊アレルギーの関係

幼いころから洋服は、肌ざわりが最も大切な要素でした。「ちくちくする」という言い回しは、イコール、「着ない。着れない」と同義でした。一方で、お気に入りのすべすべして安心するタオルケットをいつも抱えていて、漫画のスヌーピーに出てくるライナスのようでした。タオルケットは、後にタオル生地のヌイグルミになりました。どこへ行くにも手放せない、安心材料のようでした。

 大人になり、化繊アレルギーがあることに気がつきました。接触性皮膚炎ですので、使用後24-48時間後に皮膚が真っ赤になります。靴下の時には、長靴をはいた猫の絵本に出てくる猫のように、靴下の形に両足が赤く腫れ上がります。登山用品以外は、綿素材しか着ませんが、タグの部分が触った箇所が真っ赤になることがあります。登山用品のみは、綿では凍傷になりますので、一つ買って日帰りか1泊で山に行き様子を見ます(半分以上は破棄することになります。P社は比較的、調子が良いです)。
 登山の他は、冠婚葬祭以外は、化繊を着ません。ですので、いつもだらしないような格好か、山に行くの?と聞かれる格好をしています。
 皮、絹、綿、毛は大丈夫なのですから、自然児といえば良いのでしょうか。
 触覚がおかしいのか、アレルギーがあるからなのか、自分でも境目がわからない自分の行動は、多々あります。
 

くさいことと呼吸の関係

くさいと息ができない。。くるしい。鼻を閉じて口で呼吸をする。。。それでも、くさいと感じると、息が細くなる。。。脳貧血になる。

 私の天敵は、ニンニクの匂いです。特に、食べる前の料理の匂いではなく、食べた後に人が吐く息の匂いです。すご〜くわずかであってもくさいと感じてしまう。昨今は、日本にいてもイタリアン、アジアンフード、麺、はたまた、ほぼ全てのレトルトカレー、スーパーのお総菜、もれなくニンニクが入っています。ごくわずかであっても、入っている食事をした人の吐く息は、私を弱らせてしまいます。
 これは、近年、相当に困っています。電車、バス、職場、家庭、それに、集合住宅では、窓をあけるとあちらこちらの家や店の料理の匂いが入ってきますので、安心して窓をあけることはできないですね。
 活性炭入りマスクを常に持ち歩いています。
 ただし、マスクをお使いの方はご存知でしょうが、マスクの中に入ってしまった空気は、マスクの外に出にくいため、くさい空気がマスクに入ってきますと辛くなります。
 では、デオドラント系の香料か何かを使えばよいのかというと、話は、それほど簡単ではありません。何故かというと、デオドラント系商品の多くは、私の咳喘息を誘発する化学物質が含まれておりまして、そちらも辛い。
 そう、香水は、良い匂いですが、私に咳喘息を誘発してしまいます。銘柄によるみたいですが、一般的にだめです。
 新鮮な空気で息をすること。少なくとも、くさく無く呼吸をすること。
 私の願いは、贅沢ですか?
 

うるさいことと眩暈の関係

 甲高い声で頭頂部が、がんがんします。スクリーム系(叫ぶことの好きな)お子様、すみませんが、電車の中で叫ばないでくださいませ。お母様、耳栓をする私を許してください。

 眩暈の発作が1日に数回〜数十回襲ってくる状態が数ヶ月続く、ことがあります。耳が詰まったようになり、低音部感性難聴が出ますのでメニエール氏病疑い、という診断がつきます。昨今は、偏頭痛の発作もあり、両発作が連続することもあるので、偏頭痛関連めまい、もからんでいるのでしょう。そのような時期に、甲高い声がダメになります。
 電車の音は、好きです。電車の中で聞く音も、外から電車が走る音を聞くのも好きです。うるさいか、うるさくないかは、音の大きさでは無く、音の質のようです。
 小さい音でもダメな音もあります。ボールペンの芯を出したり、ひっこめたりする癖のある方がおられますが、あのカチッカチッという音は苦手で、逃げ出したくなります。
 夜は、耳栓をして寝ます。目覚ましの音は、ビックリしますが、耳栓で緩和します(耳栓をしていても目覚ましで起きます)。
 耳栓は、昼間でも常に持ち歩きます。仕事に集中したい時は、耳栓をします。わずかな音でも集中がとぎれる原因になります。
 飛行機の中で、B社のノイズキャンセラーイヤホンを使い快適でした。ただし、バスの中や病院の待合室で使用しますと、人々の声が、むしろ聞えてきてしまうので、要注意です。
 逆に、自分の出している音(ガムを噛みます)が、他の人を不快にさせていることは、たぶん、あると思います。音は、生活につきものですし、お互い様なところもありますので、難しいところです。
 先に述べた目からの刺激を色つきフィルターで調整することで聴覚の感じ方が異なることはあるようです。
 私の場合は、ごくたまにですが、声が聞えていても、内容が頭に入ってこないような話し方をする人がおられます。声のトーンのせいなのかもしれません。こちらが、集中力が増すような緊張の仕方をしていると聞き取れるのですが、逆に集中力をそぐような緊張感の中では、聞き取れないことがあります(あがっているような状態や、先にあげた集中力をそぐ音が混じっている場合など)。

まぶしさと遠近感の不思議な関係

 蛍光燈がまぶしいのです。LEDは、目の奥がグギグギ痛くなります。急激に眠くなるか、偏頭痛が起きることもあります。

 私の場合、青い波長の光(ブルーライト)を遮るフィルターを眼鏡に取り付けると、症状が楽になります。
 専門家の方にフィッテイングしてもらい、色付き眼鏡フィルター(オレンジ、黄色、青を混ぜました)をつけるとまぶしくなくなります。色付き眼鏡フィルターをつけると、遠近感がわかるようになります。驚いたことに、遠近感の乏しい世界に私は、居たようです。
 感激したのは、この遠近感のある世界の見え方です。ゴッホの絵を色付き眼鏡フィルターをつけて見ますと、ワッと叫び声を出すくらいに絵の中に奥行きのある世界が広がっていました。夜のカフェテリアは、暗い夜の中が遠くに見えますが、明るいカフェテリアが手前にあって、暖かく、幸せそうに浮き上がっています。跳ね橋も遠くと近くのある風景だったことがわかりました。
 色付き眼鏡フィルターをつけて高層ビルを見上げてみました。初めて、高度感を味わいました。青い空をバックに、ビルは、そびえ立っていました。わー高い!です。色付き眼鏡フィルターを外してみます。ビルとバックの空は、遠近感を失い、一枚の同じ画用紙の上の2Dの中にいます。色付き眼鏡フィルターをつけてみます。わー、高いです。窓拭きの職人さんが見えたら怖く感じるかもしれない程です(ちなみに、私は、普段、高いところが怖くなく、むしろ、高いところに登りたがる子供でした)。
 色付き眼鏡フィルターを付けて、電車に乗りました。座席を見ると、まん中の通路の奥と手前の遠近感があります。奥に座る人は遠くに見え、手前に組んでいる足は、今にもこちらに触りそうな程に迫ってきます。おお、これが人々の見ていた景色なのか。まったく、驚きです。
 蛍光燈やLEDがまぶしいこと、そして、遠近感が乏しく、比較的に平面的な世界。それが、私の見ている世界です。